そして1993年8月の本格発表で、アジア勢では韓国が36位、それに次いだのが前年末から23位も順位を上げ、43位にランクされた日本だった。当時のランキングは、過去8年間の試合が対象となり、結果(勝ち・分け・負け)、得点と失点、ホームとアウェー、試合の重要度、地域連盟係数などが考慮されていたものの、現在のものと比較すると計算方法はシンプルだった。以後、FIFAランキングはほとんど毎月更新され、発表されるようになった。以下、「日本代表のFIFAランキング史」を概観してみよう。

■オフト監督の下で43位からスタート

 オフト監督の下、43位でスタートした日本だったが、1997年には加茂周監督の下で16~19位と順位を上げ、ワールドカップ予選を勝ち抜いてワールドカップ初出場を決めた岡田監督時代の1998年2月には「9位」というこれまでで最高のランクに急上昇した。「ひとケタ」である。ちなみにこのとき、イタリアは14位、アルゼンチンは17位だった。

 もちろん、実力どおりの順位ではなかった。その年の6月にフランスで行われたワールドカップで、日本はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカを相手に3連敗を喫した。こんなに順位が上がったのは、アジアでのワールドカップ予選の試合が1997年中に計14試合もあり、8勝5分け1敗、得点48、失点10という成績を残したからだ。ワールドカップ予選の「重要度」は高く、日本はここでたくさんのポイントを稼いだのである。

(3)へ続く
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