そして1993年8月、FIFAは初めて本格的なランキングを発表し、最下位、167位のモルジブまでの順位を明らかにした。当時のFIFA加盟国は178。しかし10以上の国が、国際試合をしていない状況だった。

■アジアでも「中の下」だった日本代表

 ちなみに、「テスト発表」の3年間、日本は50位以内にはいっていない。当然だろう。1991年まで、日本はアジアのなかでも「中の下」といったところで、FIFAランキングの対象となる国際Aマッチの数も少なく(試合相手は、アジア以外ではクラブチームばかりだった)、ポイントどころではなかったからだ。ようやく1992年、「日本代表の対戦相手は代表チームに限る」という方針が確立され、ハンス・オフト監督率いる日本代表が中国で開催されたダイナスティカップと広島で開催されたアジアカップで優勝、国際舞台で大きく飛躍、ポイントをかせぎ、66位に順位を上げた。

 「テスト発表」の3年間、アジアのチームで50位以内にはいっていたのは、以下のチームである。1990年=韓国12位、中国30位、イラン33位、クウェート36位、イラク44位、サウジアラビア45位、UAE48位。1991年=韓国31位、イラン44位、中国48位、クウェート48位。1992年サウジアラビア48位、韓国49位。

 最初の年の韓国の12位は驚きだが、この3年間でアジアの国々のランキングがぐんぐん下がったのは、十分な数の試合をこなせなかった結果に違いない。

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