■恩人の信じられない行動力
その村田さんが三菱重工に勤務していた時代、1966年のワールドカップの時期にロンドンに出張し、大会を放映したBBCと交渉して決勝戦のフィルムを持ち帰ったのだという。そしてそれをTBSに持ち込み、ただちに放映してもらった。当時、村田さんは34歳だったはずだ。何という行動力だろう! 日曜の午後、どれほどの視聴率があり、何人が見たか、いまとなっては知ることはできない。しかし少なくともひとり、この番組によって人生を大きく動かされた者がいるのはたしかだ。
もしかしたら、40代より若い人は、気がついたらサッカーをしていたという人が多いかもしれない。しかし1951年生まれの私の若いころには、サッカーはまったくのマイナー競技だった。誰かから後押しをされたり、引っぱり込まれでもしなければ、サッカーをプレーすることも、ましてやサッカーを仕事にして生きていこうなどと思いつくことも、ありえなかった。人生や出会いの不思議、そして私をサッカーの世界に導いてくれた人びとに、あらためて感謝の念を抱くのである。
2009年の12月に永眠された村田忠男さんと、高校時代の同級生たちも知らないまま5年前に亡くなっていたTくんの魂が、安らかに眠られていることを祈らずにいられない。