大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第85回「私をサッカーに引き込んだ5人の恩人」(3)36年の時を超えて出会えた恩人の画像
筆者(左)をサッカーに引き込んだ恩人のひとり、村田忠男さん(中央)。1995年、ロンドンのヒースロー空港で。このころ、村田さんはワールドカップ招致活動のまっただ中にあった。右はジャーナリストの原田公樹さん (c)K.Imai

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「5人の恩人」。

■体育会系学生に勝てた理由

 さて、そもそも、何十人もの体育系の学生のなかから、なぜ私がサッカースクールのコーチとして選ばれたのか―。だいぶ後になって知ったのだが、それはある人のおかげだった。Iさんである。彼はスクールを運営する企業の社員で、サッカースクールの担当者だった。

 彼は私が書いた筆記試験の回答をとても気に入り、コーチにしたいと思ったという。しかし猛烈に反対する人がいた。後に私が激しく対立することになる「部長」である。彼が私にダメを押した理由は単純だった。「背が低すぎる。子どもたちの間にはいって目立たないからダメだ」。Iさんは必死に部長を説得し、私をコーチのひとりとして採用してくれた。ちなみにその日の試験で採用されたサッカースクールのコーチはあと2人。ふたりとも関東大学リーグ1部に所属する大学のサッカー部員だった。

 あのときIさんが私を無理やりコーチにしてくれなければ、私の大学生活はどうなっただろう。法律家になることをあきらめ、明確な目的意識もなく学生時代を過ごし、当たり前のように商社か銀行に就職していただろう。私が大学4年生になった1973年春は、第1次オイルショック(この年の秋から)の直前で、就職先に困ることはなかったのである。その人生がどんなだったか、想像もつかないが。

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