■日本代表監督になるはずだった男
ネルシーニョ監督が初めて日本にやって来たのはJリーグ2年目の1994年のことだった。今から28年前のことだった。
サンパウロやサントスなどで主としてサイドバックとして活躍したネルシーニョは現役引退後、名門コリンチャンスやパルメイラスを含む多くのブラジルのクラブで監督を務めた後、1994年に来日してJリーグ随一の人気クラブだったヴェルディ川崎(現、東京ヴェルディ)のコーチに就任した。
初年度からV川崎の監督を務めていたのは松木安太郎だったが、ネルシーニョはコーチとしてこの日本最強クラブで実質的な指揮を執ることになった。そして、1995年と1996年には正式に監督として戦った。
1995年秋には日本サッカー協会の技術委員会が、日本代表監督だった加茂周を交代させることを提言し、ヴェルディ川崎の監督だったネルシーニョが後任監督の候補となり、クラブ側も代表監督就任に同意したため、条件を巡る交渉まで始まっていた。
だが、最終的には加茂監督を支持するグループが巻き返し、結局、当時の日本協会会長だった長沼健が加茂監督を留任させることを決定。その間の数々の行き違いから「はしごを外された」状況に置かれたネルシーニョ監督は協会幹部を「腐ったみかん」という言葉を使って激しく非難するに至った(その会見には、僕も出席していたが、怒りに震えるネルシーニョの表情を鮮明に記憶している)。
その後、ブラジルに帰国したネルシーニョだったが、2003年から2005年にかけて名古屋グランパスの監督を務め、2009年のシーズン途中に柏レイソル監督に就任。J2降格を味わうものの、2010年にはJ2で優勝を遂げてJ1に昇格。翌2011年シーズンには昇格初年度での優勝も成し遂げた。