■天才的な芸術家を止めたプレッシング

 キエフ生まれの「ウクライナ人」であったロバノフスキーとは異なり、マスロフはモスクワ生まれの生粋の「ロシア人」であった。1910年に「帝政ロシア」のモスクワに生まれ、トルペドなどモスクワのクラブでプレー、指導者としての仕事も、トルペド・モスクワでスタートした。ディナモ・キエフの「プレッシング・スタイル」がどのような経過で編み出されたのか、はっきりとはわからない。しかしモスクワ勢に対抗するためと考えれば、想像することができるような気がする。

 当時のモスクワのビッグチームには、芸術家と言っていいような名選手がそろっていた。トルペド・モスクワのバレンチン・イワノフ、スパルタク・モスクワのイゴール・チスレンコなどである。彼らのような天才を止めて勝つには、チーム全体で激しく動き、プレスをかけて相手に自由にプレーさせないようにするしかない。そこでマスロフはディナモ・キエフの選手たちのフィジカルを徹底的に鍛え、ボールがない場所での動きを増やすことで対抗しようとしたのである。

(3)へ続く
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