大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第83回「サッカー監督たちの見果てぬ夢」(2)モスクワ勢に抗うウクライナの武器となったトータルフットボールの画像
オランダ代表などにトータルフットボールを浸透させたリヌス・ミケルス (c)Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアックコラム」。今回は、「トータルフットボールの父」について。

■ミケルス以前にトータルフットボールは存在した?

 スペインのFCバルセロナの監督という立場のままで1974年ワールドカップでオランダ代表を率い、世界にセンセーションを巻き起こしたミケルスは、1965年1月から1971年の夏までオランダのクラブ「アヤックス」を率い、降格の危機を救うだけでなく、オランダ・チャンピオンにし、さらには欧州チャンピオンにまで引き上げた男である。1974年ワールドカップのオランダ代表は、このときのアヤックスのスタイルをそのまま踏襲したものであり、ミケルスは「トータルフットボール」の父と呼ばれた。

 だが、多くのサッカー歴史家は、「オランダ、アヤックス以前にもトータルフットボールを実現した監督は存在した」と主張する。そうした監督のひとりが、1960年代にウクライナのディナモ・キエフを率いたビクトル・マスロフである。ウクライナとトータルフットボールがここで結びつく。

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