大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第83回「サッカー監督たちの見果てぬ夢」(1)緊迫情勢の「ウクライナの記憶」と誰もが夢見た1974年のオランダ代表の画像
2005年に日本代表が遠征したウクライナにもトータルフットボールがあった 写真:築田純/アフロスポーツ

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト大住良之の「超マニアックコラム」。今回は、「トータルフットボールの父」について。

■緊迫するウクライナでの思い出

 ウクライナ情勢が、なんだか、とても怪しい。欧米系のニュースチャンネルを見ていると、いますぐにでも「第三次世界大戦」が始まりそうな気配だ。

 ウクライナにはいちどだけ行ったことがある。2005年の10月にジーコ監督率いる日本代表が東欧遠征を行い、ラトビア、ウクライナと、2つの親善試合を行ったときだ。10月12日、日本代表はキエフに乗り込み、この国のナショナルスタジアムである「オリンピスキ」でウクライナ代表と対戦した。

 冷たい雨がふりしきるなかでの一戦。しかも時差7時間の日本でのテレビ中継に合わせて、水曜日でありながら17時(日本時間24時)キックオフにしたため、ほとんど「無観客」といっていい試合。ぬかるんだグラウンドに日本は得意のパスワークを発揮することができず、足腰の強い中田英寿が孤軍奮闘という試合になって、終盤のPKで0-1の敗戦を喫した。

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