■16年ぶりの五輪出場へ高まる期待

 1984年の日本のサッカー界の最大のイベントは、ロサンゼルス・オリンピック予選でした。森孝慈監督の下で強化を続け、同年1月に来日したブラジルのコリンチャンスを相手に2連勝したこともあって、16年ぶりのオリンピック出場の期待が高まっていたのです。最終予選は4月にシンガポールでのセントラル方式で行われました。

 ところが、日本代表は初戦でタイの若手FWピヤポン・プオンにハットトリックを許して2対5で敗れ、マレーシア、イラク、カタールにすべて1対2で敗れて4連敗。最下位で予選敗退となりました(「蹴球放浪記」第65回「タイの2人のスーパーマン」の巻参照)。

 そして、全日程終了後、日本代表チームの打ち上げが行わることになり、僕も呼ばれて出席しましたが、会場はなんとつい2か月前に「若人の船」でシンガポールを訪れた際に訪れた、あの日系ホテルの寿司店でした。

 まだ、プロ化される前のことでした。当時の日本代表チームは三菱重工や古河電工などの実業団チームの選手たちとプロ的なチーム作りをしている読売クラブや日産自動車の選手たち。さらに風間八宏という名前の筑波大学の学生も参加する“混成チーム”でした。

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