蹴球放浪家・後藤健生は、サッカーあるところ、どこにでも赴く。だからこそ、まだ国内では情報が圧倒的に少ない1980年代でも、日本代表の好勝負を目にすることができた。その香港の地の先には、未知の世界である中国が待ち受けていた。
■入国が難しかった中国に突入
さて、もう一つ観光の目玉が「中国」でした。なにしろ、当時はまだ中国に渡ることはなかなか難しい時代です。香港と中国本土の境界線のそばに落馬州という小さな丘があり、中国本土を覗ける名所になっていました。
現在、韓国に行くと北朝鮮が覗ける展望台があって観光客で賑わっていますが、それと同じですね。もっとも、せっかくバスを乗り継いで行ってみても、ただの農村風景が見えるだけなんですが、それでも「中国」は珍しいんですね。
そして、1980年には香港の中国旅行社という会社に申し込むと1日ビザがもらえて、国境を越えて中国側に入れるようになったんです。そこで、僕も九龍側にある中国旅行社に申し込んで中国本土ツアーに参加しました。アメリカ人や英国人、スウェーデン人などが参加していました。電車で国境の羅湖(ローウー)駅まで行って、ここで出入国手続きをして中国側に入ります。
中国までの直行便がなかった時代には、これが中国訪問のメインルートでした。
たとえば、1957年に日本代表が初めて中国に遠征した時も香港の羅湖経由で中国入りし、広州から飛行機で北京に向かったそうです。