同時に、選手のインタビューものでは、スタジオで芸術性あふれる写真も撮った。当時、私はアルゼンチンから毎週『エル・グラフィコ』誌を取り寄せていたのだが、毎週毎週、リカルドがどんな写真を撮っているのか、ページを開くのが楽しみでならなかった。
■世界に名を知らしめたW杯予選での「事件」
もちろん、優秀なカメラマンだけで芸術性とスポーツのダイナミックさを兼ね備えたページをつくることはできない。『エル・グラフィコ』誌にはオスバルド・リカルド・オルカシータスという非常に優れた「ピクチャー・エディター」がいて、雑誌で使う写真のすべてを彼が決めていた。そうした編集者の能力にも触発されて、リカルドは「ワールドクラス」の実力をつけたのに違いない。
そのリカルドの名が世界に喧伝されたのは、1989年9月3日のことだった。1990年ワールドカップ・イタリア大会の南米予選の第3組の最終戦、リオデジャネイロでのブラジル対チリ。ブラジルは引き分けでも出場決定。得失点差で劣るチリは勝利が必要だった。ブラジルが後半立ち上がりのカレカのゴールで1点を先制する。そして事件は後半の半ばに起こった。