アジアは広い。日本からはるか離れた中東も、さらにその先も、アジアである。どれほど遠かろうとも、蹴球放浪家・後藤健生は足を延ばす。日本がワールドカップ初出場を懸けて臨んだ1997年のフランス・ワールドカップ予選。日本代表の試合でなくとも、いや、たったひとりの遠征だからこそ、学べることがあった。
■イラン人記者たちによる歓迎
ようやくテヘラン行きの航空券を手に入れて、僕はダマスカスの空港に向かいました。
ところが、20時45分発のはずのRB373便は出発時間が過ぎてもいっこうに搭乗が始まりません。ダマスカス空港の待合室で時間を過ごすはめになりました。
でも、そのおかげで同乗のイラン人サッカー記者たちと知り合いになることができました。
「ほおっ、テヘランに来てくれるのか」と歓迎ムードです。そして、日本代表のことなども逆取材されました。そして、テヘラン到着後は彼らの家に招待され、大変な歓待を受けることになります。そして、彼らの一人がカスピ海沿岸の出身で「ぜひ、カスピ海側を見ておけ」と言われたので、僕はカスピ海まで行くことにしたのです(「放浪記」第2回「カスピ海を見に行った」の巻参照)。