■大会の権威を守るのは「節度」

 たとえば、日本サッカー協会が主催する最高の大会である(第1種の)全日本選手権大会には「天皇杯」という冠が付けられている。そして、日本国の象徴である「天皇」の名を冠する大会はたった一つだけに限られている。女子の全日本選手権大会は「皇后杯」であり、男子の年代別の全日本選手権大会には「高円宮杯」が授与されている(女子の年代別大会にも「高円宮妃杯」が下賜されるといいのだが)。

 それが、“節度”というものである。「天皇杯」という大会が一つだけであることによって、大会の権威は守られるのだ。

「ワールドカップ」という名称の大会は、サッカーだけでなく、多くの競技で開催されている(それが、ラグビーのように世界最高の大会である場合もあるし、バレーボールのように世界選手権やオリンピックより下位の大会である競技もある)。

 昔、サッカー界の人々は「『ワールドカップ』という大会はさまざまな競技にもあるが、ただ『ワールドカップ』といえば、それはサッカーの『ワールドカップ』のことなのだ」と信じていた。

 定冠詞付きの「The World Cup」というわけである。

 だが、サッカーと統括するFIFA自身が「ワールドカップ」という名称を多くの大会に付してしまったことによって、「ワールドカップ」という名称の持つ権威は低下してしまったのだ。

 僕自身、自分自身の生活状況がいろいろと変化する中でも、「ワールドカップだけは特別な存在だ」と信じて4年に一度のワールドカップの観戦は一度も欠かさなかった(2018年のロシア大会で12回目)。年齢を重ねても、なんとかワールドカップの観戦だけは続けようと思っていた。だが、最近のワールドカップを見ていると「本当に無理をしてまで出かけていく意味があるのだろうか」と疑問を覚えるようになってきている。

(3)へ続く
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