2022年はワールドカップイヤーである。夢のような時間がまたやって来るが、誤った方向へ進む危険性も浮上している。サッカーとワールドカップの未来を、サッカージャーナリスト・後藤健生が考察する。
■嘆かわしいブランド力の低下
僕のように昔から(1974年大会から)ワールドカップを見続けている者にとっては、最近のワールドカップのブランド力低下は嘆くべき事態であると言うしかない。
昔のワールドカップは、まさに「4年に一度の祭典」であり、夢のような存在だった。だからこそ、貧しいサポーターたちも含めて、4年間こつこつと旅行資金を積み立てて「4年に一度」のワールドカップへ巡礼の旅に出ようという気持ちになったのだ。
なにしろ、1978年のアルゼンチン・ワールドカップまでは本大会出場国は16か国に過ぎなかった。つまり、本当のエリート中のエリートのための大会だった。そこに出場するチームは、すべて夢のような存在だった(もちろん、当時「夢のよう」と感じたのは、日本のサッカーの競技レベルとの差が大きかったという理由もあるのだが)。
たとえば、1960年代を代表するスーパースターのジョージ・ベスト(マンチェスター・ユナイテッド)なども、彼が小国、北アイルランドの代表だったためにワールドカップ出場は叶わなかった。現在のように、多くの国が参加できるのであれば、ベストのような特別な選手が活躍することによって、北アイルランドでもヨーロッパ予選を突破することが可能かもしれない。だが、たとえば1966年のワールドカップではヨーロッパから本大会進出を許されたのは開催国のイングランドを含めてわずか10か国だけだったのだ(他に、前回優勝のブラジルを含めて南米から4か国。その他の大陸からはメキシコと北朝鮮が出場しただけだった)。