■自慢の守備を完全粉砕された過去

 当時の名古屋はリーグ最少失点。その守備を崩すのは至難の業と思われていたが、リーグ最多得点を誇っていた川崎は、2戦合計で7得点を奪ってみせたのだ。180分間を経過する前に、最強の盾は見事に粉砕されていた。以後、名古屋は攻撃にもテコ入れを図るようになる。

 正確には、川崎戦の“第1戦”の途中から名古屋はシステムを4-3-3に変更。それまで堅守を維持するために用いていた4-2-3-1から変更したのである。前半23分までに3失点してしまったことで、勝利に近づくために名古屋は慣れ親しんだシステムを一時的に捨てることを決意した。

 その後も4-3-3で攻める姿勢を時折見せるようになる。特にACLのグループステージでは多用しており、引いて守る相手を崩すためにこのシステムを用いた。

 名古屋が今後、さらなるタイトルを得るためには、そして、川崎を破るためには、堅守を維持しつつも攻撃のさらなる構築が望まれる。ルヴァンカップ決勝では先制したことで自分たちのペースに持ち込むことに成功したが、準決勝第2戦のアウェイFC東京戦では、苦しい時間が長かった。

 青赤軍団にゴールを許すと、反撃に転じようとしてもその手段は限られていた。稲垣祥のゴールは根性で奪ったゴールで、決してチームとして奪ったものではなかった。勝ちパターンを増やすために、堅守という“プランA”の他のプランを用意する必要がある。

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