■04年の北朝鮮戦が女子サッカー人気のきっかけとなった
なでしこ=INACというイメージが今でも多くの人に根強く残っているのは、ブームがそこで終わってしまったからだ。
ブームはいずれ必ず去るものだが、定着に繋げることができるかもしれないチャンスでもある。
簡単にその前を振り返ると、そもそも、現在の女子サッカーがあるのは、2004年4月24日、アテネ五輪の出場権がかかった北朝鮮戦に勝利したことがかなり大きい。
企業スポーツだった女子サッカーは、1996年のアトランタ五輪で3連敗し、2000年のシドニー五輪には出場することすらできなかったことでスポンサーがどんどん離れ、危機に陥っていた。北朝鮮戦は負けていたら日本から女子サッカーそのものが無くなっていたかもしれない試合だったが、国立競技場に集まった3万人を超える観客の前で、澤を中心とした日本代表はそれまで15年勝てていなかった北朝鮮に3-0で勝利。男子の代表戦と同じようにテレビで全国放送もされており、どん底からのターニングポイントになった。なでしこという愛称がついたのもその後だ。
女子サッカーを盛り上げようという取り組みもそれから強くなった。
全日本女子サッカー選手権大会は2004年の第26回大会(決勝は2005年1月1日)から男子の天皇杯決勝と同日同会場(男子の前)で行うようになった。天皇杯を見に行くついでに1試合目も見る、という観客は年々増え、北朝鮮戦で女子サッカーそのものを初めて観たという人は多く、その火を絶やさず、女子サッカーというものがあるという認識を定着させるのにこの取り組みは大きく貢献した。