スタジアムの「賞味期限」(1)私は県庁で「埼玉スタジアムのデザインは完全に間違っている」と話したの画像
新国立競技場 撮影/編集部
ここぞという試合では奮発して、いい席で見たいなんていう日もある。ところが、財布の底をはたいて買ったシートなのにプレーヤーの背番号もはっきりと識別できないというのでは、涙も出やしない。サッカー専用スタジアムが増えているとはいえ、まだまだ見づらいところも多い。その原因の大部分は、サッカーを見ない人たちがつくっているからなのだろう。そして、いつもと違うスタジアムに遠征すると、いままでは「誇り」であった地元のスタジアムが、もう「時代遅れ」であることに気づくこともある。スタジアムにも「賞味期限」がある。サッカー取材歴50年以上のベテランジャーナリスト・大住良之が語る。

■「スタジアム西高東低論」に加えて

「百年スタジアムですから」

 先月、東京オリンピックの施設建設に関するNHKのドキュメンタリー番組を見ていて、新国立競技場の建設作業に当たった現場技術者の言葉を聞いて驚いた。「百年後も人びとを楽しませているスタジアムをつくるんだ」という意欲で、最高の技術と、そして何よりも細心の工事計画で建設したということはよく理解できる。しかしスタジアムというのは、その時代の人びとに「非日常」を楽しませる場であり、「ノスタルジー」を除けば、とても100年間という長期の使用に耐えるものではない。スタジアムには「賞味期限」があるのだ。

 8月3日にこのサイトにアップされた後藤健生さんの「サッカースタジアムの西高東低論」は非常に面白く、エキサイティングなものだった。西日本にはサッカーを百パーセント楽しむことができる「専用スタジアム」が多いのに、東日本では相変わらず陸上競技場でサッカーの試合が開催されていることが多い。その違いの原因を、西日本には民間の資金で建設されたスタジアムが増えてきているのに対し、東日本では相変わらず都道県や市などの自治体の手でスタジアム建設が行われているということにあるのではないか――。さすがに『世界スタジアム物語』(ミネルヴァ書房)という好著を書いた後藤さんならではの視点と、感心した。

 私も、6月から7月にかけて首都圏を離れて行われた数多くの国際試合を後藤さんと同じように見てきた。しかし階段の多さにあえいだり、口を開けて夕日やたそがれの景色に見とれていただけで、恥じ入るばかりだ。

 しかしスタジアム建設に関し、誰もが見てこなかった、あるいは見ようとしなかった重大な事実があることを、後藤さんの記事に「付録」のように付け加えておきたい。それが「スタジアムの賞味期限」である。

 だが、本論にはいる前に、「これからは民間の資金でスタジアムを建設すべきだ」という後藤さんの論に少し補足をしておきたい。例として挙げるのが、「埼玉スタジアム」と「パナソニックスタジアム吹田」である。

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