■「たったの10分」が短命監督の世界記録

 だがへハーの記録はイングランドのレロイ・ロシニアに簡単に破られる。ロシニアはフラムやウェストハムなどロンドンのクラブでストライカーとして活躍し、イングランドのU−16やU−21代表にも選ばれたストライカーだったが、1993年には父母の祖国であるシエラレオネの代表としてもプレーした。引退後は監督として活躍、2002年に「リーグツー」(イングランドのプロリーグで4部にあたる)のトーキー・ユナイテッドの監督に就任し、2004年には「リーグワン」(3部)への昇格に導いた。

 2006年にはブレントフォードの監督を務め、2007年の5月にはシエラレオネ代表の監督としてロンドンでクラブチームとの親善試合の指揮をとったが、その直後、古巣のトーキーからオファーを受けた。トーキーはこの年「リーグツー」からの降格が決定、翌シーズンはセミプロのリーグでプレーしなければならないという苦境にあった。「この危機から救い、プロリーグに復帰させられるのはきみだけだ」と、クラブの筆頭株主であるマイク・ベイトソンはロシニアをかき口説いた。

 ところが5月17日、彼がまさにイングランド南西部、アガサ・クリスティーの生地として知られるトーキー市内、小高い丘の上の住宅地に囲まれたホームスタジアムで記者たちを相手に就任会見を始めてからわずか10分後、彼の携帯電話にベイトソンから着信があった。ベイトソンは自分の持ち株をすべて地元の投資家グループに売ってしまい、そのグループが執行役員として元トーキー選手のコリン・リーを選んだという。そしてそのリーは、彼と同じようにトーキーの選手だったポール・バックルを新監督に据える意向だというのだ。こうして、ロシニアの「トーキー監督」の座はわずか10分間で終わった。これが「短命監督」の世界記録ということになる。

 まあ、セミプロリーグで昇格に悪戦苦闘するより、彼はそれでよかったのかもしれない。ロシニアはその後サッカーの現場から離れ、テレビのコメンテーターとして頭角を現して英国の公共放送であるBBCで活躍、たくさんのサッカー番組で活躍した。そして同時に、英国の人種差別撲滅組織である「人種差別にレッドカードを」のアンバサダーとなり、全国各地を講演して回った。その功績を評価され、2018年にはMBE勲章を受賞しているのである。

 幸運に恵まれ、長期間仕事ができる人などほんのごくわずか。プロサッカーの監督というの仕事は、信じ難いほどに不安定で、そして理不尽な運命に翻弄されるものなのである。

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