■半日で終わった「監督復帰」の悲劇

 さて、「短命監督」はブラジルだけの話ではない。イタリアでは、アルベルト・マレサニ監督の就任後20日での解任がよく引き合いに出される。彼は2012年の4月に1−4の敗戦の後でジェノアの監督を解任されたのだが、実は前年の6月から12月までもジェノアの監督だった。つまり、マレサニはシーズン半ばの12月に解任されたものの、3月に復帰し、20日後の4月にまた解任されて、1シーズンのうちに同じクラブから2回も解任されるという、他に例のない監督となって名を残したのだ。

 1996年秋、ブンデスリーガ2部のVfBリューベックの監督に就任したハインツ・へハーの悲劇も、プロ監督という稼業の足元の頼りなさ、はかなさを物語る。

 ヘハーは現役時代の末期に所属したVfLボーフムの監督として7シーズンを過ごし、ドイツ国内ではよく知られた存在だった。しかしそんな彼も、ブンデスリーガを離れてギリシャのクラブで仕事をしたり、サウジアラビアのアルイテハドの監督を務めるうちに忘れられた存在になってしまったらしい。1996年のある朝に低迷するリューベックから電話を受けたときには、もう6年間もオファーがなく、サッカーの監督という仕事をあきらめかけていたころだった。

 リューベックは、その朝に前監督の解任を決めたばかりだった。思いがけないオファーに、ヘハーに否も応もなかった。彼は電話を切るとすぐに車に飛び乗り、エンジンをかけた。自宅のあるボーフムは、ドルトムントとデュッセルドルフに挟まれたドイツ中西部の都市である。北ドイツ、バルト海に面する港湾都市リューベックまでは400キロ以上の距離がある。だがドイツ人はこのくらいの距離は平気でアウトバーンを飛ばしていく。そして彼は、その日の午後には、VfBリューベックのトレーニングで指揮をとった。

 だがそのトレーニングの最中に悲劇が襲った。ヘハーが突然気を失って倒れたのだ。病院にかつぎこまれ、診察を受けた結果わかったのは、原因は彼が常用している薬にあるということだった。彼はまだ58歳になったばかりだったが、アルコール中毒の治療を受けており、その日車に飛び乗る前にも大量の薬を飲んでいた。彼を病院に送り届けたリューベックのマネジャーは、クラブに戻るとすぐに次の監督探しに取りかからなければならなかった。ヘハーの「監督復帰」は、わずか半日間で終わったのだ。

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