■白いユニホームはサッカーマンの誇り

 ともかく私は、日本が同点にしたことを確認し、サッカー部の仲間たちと「やった、やった!」と声を上げた。お気楽な高校生と違ってこれから横浜や東京まで仕事に向かうサラリーマンやOLたちも、日本のサッカーが釜本邦茂のハットトリックで初戦を快勝したのを知っているのだろう。満員電車のなかで押し黙りながらも、彼らの目が一瞬輝くのを、私は見逃さなかった。

 結局、釜本のアシストで渡辺正が同点ゴールを決めたと確認できたのは、帰宅して夕刊の記事を読んでからだった。

 この大会で日本は銅メダルを獲得しただけでなく、釜本は7ゴールを記録して大会得点王となり、日本代表はFIFAとユネスコの「フェアプレー賞」まで受賞した。

 当時、私たちはみんな日本代表のことを「全日本」と呼んでいた。FIFAに登録された代表チームカラーは現在と同じ青だったが、このころの「全日本」は好んで白いユニホームを着た。メキシコ・オリンピックでは、3位決定戦のメキシコ戦でパンツを紺色にした以外は、すべての試合を上から下まで白のユニホームで戦った。

 銅メダル、得点王、フェアプレー賞、そして真っ白のユニホームまで、全日本のすべてが、私たち日本のサッカーの末端にいる者の誇りだった。それからしばらくは、私自身がサッカーをやっていることまで、何か誇らしく思ったものだった。

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