■最後のランチはACミランの選手たちと

 試合後のパーティーで、フェレイラはトリノとマッツォーラの友情に感謝し、トリノに大きな箱2つに収められた冷凍のマグロと、イワシ1箱を贈った。

 トリノへの帰途は、往路と同じチャーター便。選手18人、クラブ役員2人、英国人のレズリー・リーブズリー監督以下チームスタッフ3人、同行記者3人、添乗員1人、そしてクルー4人、計31人の乗客・乗員だった。往路と同様バルセロナで給油があり、トリノの選手たちはそこでスペインのマドリードに向かう途中のACミランの選手たちと出会い、いっしょにランチを楽しんだ。

 機はバルセロナからまっすぐにトリノに飛ぶことはできなかった。トリノのすぐ西にはまだ頂に真っ白な雪を残すアルプス山脈が続いて地中海近くまで走っており、地中海沿いに飛んでサボナの上空で北に進路を向け、東からトリノ盆地に侵入することになっていた。

 この時期の北イタリアは本来なら好天が続く。しかしこの年の5月4日はあいにくの悪天候だった。厚い雲が低く大地を覆い、ときおり激しい風雨が吹き荒れていた。トリノ西郊にあるアエリタリア飛行場の午後4時55分の管制官は、雲が地表近くまで低く垂れ込み、強雨、南西の風が強いことを、チャーター機に伝えた。

 午後5時2分、チャーター機のピエルルイジ・メロニ機長からアエリタリア飛行場に無線連絡がはいり、「順調に飛行し、トリノに近づいている」と伝えてきた。

 「すべてコントロール下にある」

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