■丘の上のスペルガ大聖堂に激突

 だがその通信がイタリアで最新鋭の旅客機である「フィアットG212」からの最後の通信となった。3分後にアエリタリア飛行場から呼び掛けても、返答はなかった。そのころ、機はトリノ市の東の端にあるスペルガの丘(標高672メートル)の山頂にある有名な大聖堂の基部に激突し、31人の乗客・乗員すべての命を奪っていた。「グランデ・トリノ」は、一瞬にして消滅したのだ。

 だがセリエAはまだ終わっていなかった。深い悲しみと喪失感のなかでもトリノは戦いをやめることはできなかった。ジェノア、パレルモ、サンプドリア、そしてフィオレンチナとの対戦を残していたのだ。「国葬」と言っても過言でない盛大な葬儀で1週間日程をずらせたセリエAは、5月15日に再開、ホームにジェノアを迎えたトリノは、大半がユース選手で構成されたチームを送り出した。

 ところが相手のジェノアがピッチに送り込んだのも、ユースチームだった。実はトリノと残り試合を戦う4クラブは、申し合わせてすべてユースチームで戦うことにしたのだ。それが、「グランデ・トリノ」に対するリスペクトであり、イタリア人が考える「フェアプレー」だった。試合は4−0でトリノが勝ち、5シーズン連続優勝が決まった。そしてトリノは残り3試合もすべて勝利で飾り、「グランデ・トリノ」の時代に幕を引いた。

 その後、トリノは低迷してセリエBに降格、次にセリエA優勝を果たすのは、1975/76シーズンのことだった。

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