■1997年ジョホールバルでイラン代表と
というわけで、「神話時代」ならぬJリーグ時代になってからは「日本代表と同宿」はありえない。だが「代表チームと同宿」がなくなったわけではない。外国チーム、ほとんどは日本代表の対戦相手と同宿になるという形である。これはたまにある。
1997年11月のワールドカップ・アジア予選「第3代表決定戦」が行われたジョホールバル(マレーシア)では、イラン代表と同宿になった。日本の取材陣が多く宿泊していたホテルに、試合の前々日の深夜、テヘランからのほぼ1日がかりの長旅に疲れ果てたイラン代表がはいってきた。
翌朝、朝食をとるために9時すぎにエレベーターで1階に向かうと、8階で止まり、数人の若者が乗り込んできた。イランの選手であることは、着ているシャツについたエンブレムですぐにわかった。最後尾から乗ってきたのは、アリ・ダエイと並ぶイランのエース、ホダダド・アジジである。起きたばかりらしく、目はまったく開かず、とろんとした顔をしている。
日本代表チームなら食事は一般の客といっしょではなく、バンケットルームなどを借りてそこでチームだけで済ませるのだが、イラン・チームの食堂は私たちといっしょだった。食事をしながら振り返ると、小柄なアジジがパン皿にパンを山盛りにし、かじりついている。この遠征の直前に監督に就任したばかりのブラジル人のバウジル・ビエイラ監督は、この朝食会場が選手たちとの「顔合わせ」だったらしく、アジジが座るテーブルのところまで行ってまるでウェーターのように笑顔を振りまいている。パンにかじりついたままのアジジは顔を上げることもせず、監督が通り過ぎてから「いまの誰?」などと言って同席のチームメートたちを笑わせている。
その夕刻、日本の取材陣でごった返すホテルのロビーに、アジジが車椅子に乗ってはいってきた。その直前の練習終了後、アジジは日本の報道陣の前で大げさに倒れて、そのまま運び出されていた。群がる日本の報道陣に向かって、アジジの車椅子を押した選手は「こいつの足はもうダメだ。明日は切断しなければならない」と言った。翌日、アジジは延長戦までフル出場し、後半の立ち上がりには同点ゴールも奪った。