■【夢を提供する?】「サッカーの本質を見失っている」可能性
スーパーリーグが大義名分として掲げた中に「夢の提供」がある。
しかし、それは本当に夢なのだろうか?それを考えることは、サッカーの本質を再確認することに繋がる。
①アマチュア選手にとっての夢の対決とサッカーのあるべき姿
仮にここまでの問題が全て解決した上で、国内+スーパーリーグというスケジュールになった場合、8月から5月の約40週のうち25週のミッドウィークをスーパーリーグに割くことになれば、国内カップ戦への参加は物理的に困難になる。
日本でルヴァンカップと天皇杯があるように、多くの場合国内カップ戦は2つある。日程上、各クラブにとって負担になってしまうことも多いカップ戦だが、日本の天皇杯がそうであるように、FAカップ、コパ・デル・レイ、コッパ・イタリアはアマチュアクラブも参加する大会だ。歴史的にも各国最古のサッカー大会であることが多く、ジャイアントキリングが名物になる大会であることも共通している。
小さな町の歴史ある小さなクラブの小さなスタジアムにユナイテッドやリバプールがやってきて、住民のほとんどがスタジアムに駆け付け、地元のパブで後世まで語り草になる。アマチュアプレーヤーにとっての夢の舞台であり、地域に根付いた文化としてのサッカーのあるべき姿だ。
もちろん、優勝クラブにはヨーロッパリーグへの出場権も与えられる。ヨーロッパリーグで優勝したクラブにはチャンピオンズリーグ出場権が、チャンピオンズリーグに優勝すればクラブワールドカップの出場権が、と、達成できる可能性はゼロだとしても、どれだけレベルやサラリーが違っていても、サッカーの世界はたしかに裾野から頂点まで繋がっている。
スーパーリーグは「ファンとアマチュア選手に夢を提供する」としたが、その機会が失われようとしている。
ビッグクラブだけが激突するという魅力を抱えながらここまで非難を集めているのは、国内リーグが基盤であるという大前提を無視し、選手をはじめとした現場を無視し、そしてサッカー本来のあるべき姿までも見失ったものだからなのかもしれない。