■古豪アルゼンチンを相手に中盤に君臨した
とくに顕著だったのは、前半25分から30分にかけての5分間である。この間に田中には実に17本のパスが集まった。田中に集まったボールが前後左右に散らされたことでアルゼンチンはボールを奪い返すチャンスを失った。試合が進むなかで味方選手たちの田中に対する信頼が高まり、この時点で最高潮に達していたのだ。
当然、アルゼンチンも田中を警戒して2人、3人が田中を囲むポジションを取るようになる。すると、周囲の選手は簡単にフリーになり、「田中を経由せずにチャンスが生まれる」状況となる。この試合の田中ほど、ピッチ上での「プレゼンス(存在感)」を感じさせるプレーヤーを、そう頻繁に見ることはできない。
アルゼンチンには、そうした選手の伝統がある。1980年代ワールドカップ優勝時のセルヒオ・バティスタ、1990年代にレアル・マドリードで活躍をしたフェルナンド・レドンドが好例だが、アルゼンチンではこうしたタイプのボランチを「みんなの仲間」と呼ぶ。文字どおりチームの中心に位置し、誰がボールをもったときにもパスを受けられるポジションをとってボールを引き出し、チームのリズムをつくりながら、ときに決定的なチャンスを生むパスを出せる選手だ。
残念ながら、現在のアルゼンチンには、今回来日したチームだけでなく、A代表にも、そうしたタイプの選手、圧倒的な存在感を示しながらゲームをつくっていく選手、何よりも「優雅」とも言えるプレーで中盤に君臨する選手は見当たらない。そんなアルゼンチン・サッカーが失ったものを、アルゼンチンのファンたちは、北九州の小さなスタジアムで、しかも相手チームのなかに見いだしたのではないだろうか。