■試合の行方を占うデュエル

 昔、フランスに「ONZE(オンズ)」という雑誌があった。1976年に創刊されたサッカー雑誌だったが、創刊直後にパリを訪れる機会があり、パルクデプランス・スタジアムで試合を見た帰りに創刊号から数冊分をまとめて買い、ホテルに戻ってから広げてそのクォリティの高さに驚いた。薄い雑誌だったが写真中心で、しかもその写真がそれまでのサッカー雑誌の写真とは大きく違う「新しい世界」を見せてくれるうえにデザインが素晴らしかったからだ。帰国後、定期購読する手続きをとり、毎月送られてくるのを楽しみにするようになった。

 あるとき、その「ONZE」のページをめくりながら、1枚の見開き写真に目が止まった。試合前のコイントスの写真だった。よくあるように15メートルも離れたところから望遠レンズで撮ったものではなく、おそらく両チーム選手の足元あたりまではいり込み、低い位置から見上げるようにこの「ドラマ」の「3人のキャスト」をとらえた写真だった。だが「主役」はあくまでコインである。このときは金貨であった。

 主審が投げ上げた金貨が、真っ暗な夜空のなかで満月のように輝いている。そしてそれを、主審だけでなく、両チームのキャプテンが真剣な表情で見上げているのだ。コイントスなど儀式化した習慣だと思っていたのだが、選手たちはまるで試合の吉兆を占うかのような目つきだった。この写真を撮ったカメラマン、そしてそれをとあるビッグゲームのレポートの最初のページに見開きで使うという編集者のセンスに、私は脱帽した。そう、コイントスは、試合の最初の「勝負」、あるいは「デュエル」なのである。

 コイントスで決めることは、ときとして大きな意味をもつ。太陽の角度、風向きなど、スタジアムや状況によって、取るエンドで大きな有利・不利が生じる場合があるからだ。たとえば、本来、競技場はメインスタンドが西側に、両ゴール裏が南北にくるように建てられなければならないのだが、土地の事情でそうもいかないときがある。東京の国立競技場は北東から南西に傾くように建てられているため、屋根がほとんどなかった旧競技場では冬季になると北東側のゴールでは夕日を真っ正面から受ける形となった。午後2時キックオフの試合だと、後半、このゴールを守るGKは大きく不利になる。こうした試合ではコイントスが試合の明暗を分けることになりかねない。

 強風が吹いているときも、どちらのエンドを取るかは、無視できないポイントだ。前半風上から攻めるのか、それとも風下から攻めるのか、チームや監督、そしてそのチームが得意とする攻撃方法によって考え方は違う。サッカーでは、必ずしも風上が有利というわけではない。パスが流され、通常なら追いつくものが追いつけなくなるなど、攻撃をコントロールするのが難しくなるからだ。

■トルシエがキャプテンに求めたもの

 だが、西ドイツ代表で長くキャプテンを務め、1954年ワールドカップ優勝に導いたフリッツ・ワルターは、所属のカイザースラウテルンの仲間の選手たちが、風上でも風下でも、太陽の向きもどちらでもいいと言っていたと明かしている。後半の風の向きや強さなど誰にも予想できなかったし、太陽が突然雲に隠れることもあるからだ。これは、そんなことに神経質になるより、しっかりと自分のプレーに集中したほうがいいという教訓かもしれない。

 Jリーグでは、ときどき、トスに勝ってからGKに「どっちにする?」と聞くキャプテンを見るが、プロとしては恥ずべきことだ。こうしたことは、「ボール(キックオフ)を取る(どちらのエンドでもいい)」「こっちのエンドを取る」など、試合前にGK、監督と相談して決めておかなければならない。

 サッカーという競技において、キャプテンが際立つのは、実はコイントスだけと言っていい。もちろん、チーム内においては大きな存在であり、重要な役割なのだが、試合が始まると、キャプテンには何の権限もないし、チームを代表して主審に抗議することも認められてはいない。ルール第3条には、こんな記述がある。

「チームのキャプテンは、なんら特別な地位や特権を与えられているものではないが、そのチームの行動についてある程度の責任を有している」

 要するに、主審に抗議をする権利はないが、チームの選手が執拗に抗議をしている場合や、多くの選手が興奮状態になったときなどには、それを鎮めるのがキャプテンの役割ということになる。フィリップ・トルシエは特定のキャプテンを決めず、試合前のメンバー発表の最後に「キャプテン○○」というのが通例だったが、それは「きょうは○○がコイントスの係」と言っているのに等しかった。

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