■1999年、浦島太郎は再び竜宮へ
さて、不思議なのは「なぜこの街の“美女率”が高いのか」です。
監督交代後最初の試合は1週間後のウズベキスタン戦でした。その1週間の間に僕は隣国キルギス共和国も観光してきました。しかし、キルギスの首都ビシュケクでも、ウズベキスタンの首都タシケントでもそれほど多くの美女は見かけませんでした。
「なぜ、アルマトイだけ“美女率”が高いのか?」
仮説はいくつか考えられますが、僕は「カザフ人だけでなく、ロシア人なども多く、混血が進んでいるから」という「混血仮説」が有力だと思います。
中央アジア諸国の住民はモンゴル系あるいはトルコ系で、言語的にも中央アジア人とトルコ人とはコミュニケーションが可能なようです(ペルシャ系のタジク人は別)。そして、非中央アジア人の比率はカザフスタンが最高です。
第二次世界大戦の時、ソ連の独裁者スターリンはロシア領内に住んでいるドイツ系住民がドイツのスパイになることを警戒して中央アジアに強制移住させ、その子孫が今でも数多く住んでいます(ゲインリッヒという名前の選手がいましたが、これはドイツ語の「ハインリッヒ」です。「H」の文字を、ロシア文字に変換すると「G」になってしまうのです)。
同様の理由でスターリンは極東地域から朝鮮族を中央アジアに移住させました。そのおかげでアルマトイ滞在中は朝鮮料理も堪能することができました。2年半前に25歳という若さで亡くなったフィギュアスケーターのデニス・デンも朝鮮系カザフスタン人でした。
そして、ロシア連邦と長い国境を接するカザフスタンには多くのロシア人が住んでいます。しかも、カザフスタンにはセミパラチンスク核実験場やバイコヌール宇宙基地といったソ連にとって非常に重要な施設もありましたから、おそらくエリート級の(金持ちの)ロシア人も数多く住んでいたことでしょう。昨年まで、アメリカのNASAもスペースシャトルへの往復はロシアのソユーズ宇宙船に頼り切っていましたが、ソユーズを打ち上げるには今でもバイコヌール基地が使われています。
アルマトイを再び訪れる機会は意外と早くやってきました。1999年10月9日、日本はシドニー・オリンピック予選でカザフスタンと再び対戦したのです。宮本恒靖、中澤佑二、稲本潤一、中田英寿、中村俊輔、遠藤保仁、高原直泰といった超豪華メンバーで今回は2対0で完勝でした。
この遠征では、記者団も出発前から美女群団との再会を期待していました。ところが、アルマトイの“美女率”は完全に低下してしまっていたのです。記者団には失望感が広がりました。
わずか3年の間に何が起こったのでしょうか?
実は、ワールドカップ予選の直後に、カザフスタンの首都がアルマトイからアスタナ(現ヌルスルタン)に移っていたのです。
アルマトイは中国国境に近すぎましたし、盆地なので大気汚染も激しく、地震も多いというのが理由で、2019年に死去するまで30年にわたって権力を握っていたヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が遷都を断行したのです。
たぶん、美女たちは首都に移り住むことになったのでしょう。
その後、カザフスタンはアジア・サッカー連盟(AFC)を離れてUEFAに転籍してしまいましたから、その後、アスタナ(ヌルスルタン)を訪れる機会はなくなり、残念ながら「美女群団集団移住仮説」を確かめることはまだできていません。