■本田が残してきた「結果」の重み
止める者もなくイタリアを離れることになったが、下を向く本田ではなかった。次なる舞台に選んだのはメキシコ。その選択には、世界中が驚いた。「無難な選択をしようとしていた自分に腹が立っていた」。欧州での初の移籍で、日本人選手にとって未開の地だったロシアを選んだ頃を思い出したようだった。
その翌年のブラジルW杯で3大会連続となるゴールを挙げたが、その後はサッカーよりもビジネス手腕などピッチ外ばかりで注目されるようになる。ボタフォゴを離れる際にも、コロナ禍でのチームメイトとの会食が報じられてバッシングを受け、悪い意味で視線を集めた。
だが、本田はボタフォゴでもリーグ戦で2得点という数字を残している。これまでの8か国の9クラブにおいて、2か月未満の在籍にとどまったフィテッセを除き、すべてのクラブでゴールという結果を残している。この事実は、軽々しく扱われるべきものではない。
最近のツイッターには、こう投稿している。
「結果で評価され、結果が全て、結果が大事の世界で長くやればやるほど、過程の重要性に気付く」
これまでのキャリアへの自負と、今後へのリベンジ宣言とも受け取れる言葉だった。
「挫折は過程、最後に成功すれば、挫折は過程に変わる。だから成功するまで諦めないだけ」。
これまで発してきた言葉のとおり、結果で答えを出すだけである。
自らが携わるプロジェクトを通じて、本田は最近、ロシアW杯後に引退する考えがあったことを明かした。実際には当時、代表引退を示唆したのだが、昨年はメディアに「元日本代表」と書かれることに拒否反応を示している。そんな負けず嫌いもまた、本田の原動力となってきた。いや、目の前に立ちはだかる壁こそが、本田を突き動かすものであり、喜びであったのだ。
「夢を追わない人生なんて退屈すぎる」
ボタフォゴと契約解除して無所属だった今年1月、本田はそうつぶやいた。つまずくたびにパワーアップしてきた男の行く先は、誰にも見えない。