佐藤寿人論(2)緻密にデザインされていた3種類の「寿人ゴール」の画像
2016年に当時J1史上最多の通算158ゴールを達成した佐藤寿人 写真:松岡健三郎/アフロ

※第1回はこちらより

エレガントな、ひたすらにエレガントで完成度の高いゴールに出会いたいのなら、佐藤寿人のプレーを見ればいい。しかし彼は、昨シーズンいっぱいでの現役引退を表明した。もう見ることはできない——。だから思いだそう、世界でもまれなストライカーがJリーグでプレーしていたことを。

■ワールドカップでは見られなかったその雄姿

 初得点は同じ月、2月22日に横浜で行われたインドとのアジアカップ予選。3−0の状況で後半31分に投入された寿人は、久保竜彦の4点目にアシストすると、後半38分、自ら5点目を決める。右サイドの加地亮がペナルティーエリア手前の寿人に送ったゆるいグラウンダーのパス。寿人はそれをそのまま流してターンし、2人のDFに挟み込まれながらも左足を振り抜いてニアポスト側、ゴール右隅に突き刺したのだ。

 この試合を含め、5月までに6試合に出場して2得点を挙げた寿人だったが、経験を重んじるジーコ監督の方針により、ドイツで開催されるワールドカップのメンバー入りはならなかった。そして同じことが、岡田武史監督が率いた2010年ワールドカップでも繰り返される。岡田監督は守備を重視したため、攻撃のオプションである寿人を削らざるをえない状況だったのだ。

 寿人が「あの時期に日本代表にはいっていれば……」と惜しむのが2012年である。この年、森保一監督が就任した広島で、寿人はワントップとして攻撃をリードしていた。前任のミハイロ・ペトロヴィッチ監督が築いた3−4−2−1システムに基づくパスワークを森保監督がチューンナップし、広島の攻撃は破壊力を増した。そのなかで、寿人はちょうど2試合に1試合、17試合で得点を記録して計22ゴール。優勝の立役者となった。

 だがこの年、ザッケローニ監督が寿人を招集したのは10月に欧州を舞台に行われたフランス、ブラジルとの連戦だけだった。ワントップのレギュラーである前田遼一がパリに着いてからケガで離脱することになり、代わって寿人が急きょ日本から呼ばれたのだ。2010年秋から2014年のワールドカップまで日本代表を指揮したザッケローニ監督が寿人を呼んだのはこのいちどだけで、寿人はフランス戦、ブラジル戦とも、ベンチを出ることはなかった。結局、ワールドカップは寿人とは縁遠いものだった。

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