なにもかもが未曾有の事態だった2020年。Jでは史上空前の勢いで川崎フロンターレが駆け抜け、ACLに出場した3チームは苦い結末を迎えた。ピッチ上ではさまざまな変化があったが、変わらないこともあった。新たな星が日々生まれ、偉大なディエゴは逝ってしまった。サッカージャーナリストの大住良之、後藤健生の2人が、あらためて激動の1年を振り返る。
―特別な年度になったわけですが、そのぶん中身は面白いシーズンではなかったのではないでしょうか。川崎フロンターレがまさかここまで独走するとは……。
後藤「ぼくはシーズン前から、絶対に川崎だって、どこでも書いていたよ」
大住「そうだよね。だってACLがないんだもん」
後藤「ACLがない、そして川崎はそんなに走り回るサッカーじゃない。それから選手層も厚い。あらゆる面を考えて、川崎以外はないと思ったけど。まあ、確かにここまでだとは思わなかったけどね」
大住「競っていくとか、対抗するチームはいなかったよね。みんながそれぞれに問題をかかえて苦しんじゃったし」
後藤「ACLに行ったチームは、あの日程じゃどうしようもないだろうと思うしね」
―横浜マリノスの失速については?
後藤「それもあそこまでとは思わなかったけど、予想通りではあったね。ここはやっぱり走り回らなきゃいけないチームだったし。あの極端なやり方というのには当然弱点があるから、みんなが狙ってくるからね」
大住「それに、あのサッカーで2シーズンを突っ走るのは厳しい。ケガ人も今年は多かったでしょ?」
後藤「Jリーグというのは厳しいからね、相手の弱点を突いてくる」
大住「この間、浦和の大槻毅監督と話していたら、川崎は、なんで今年はこんなことになったのっていう会話になったのね。それで、川崎みたいなチームと試合をするときは、ちゃんと1週間の時間をもって、ここはこう突く、こう守るというような、戦術的トレーニングをやらないと、とてもじゃないけど試合にならないと。
今年は過密日程だったから、みんなそんな準備ができずに川崎と立ち会って、それでボコボコにやられちゃった。そんな感じだと言っていたけど。そういう面もね。川崎は、ひとつは5人交代ルールを川崎が一番うまく活かしていたし、活かすだけのタマを持っていたよね。なにしろ試合の後半でボボボボンって点を入れちゃうんだから。それから、去年のチャンピオンの横浜F・マリノスに対しては、準備はできたけど、今年の川崎への準備をする暇がなく終わってしまった。そんな感じかな」