ワールドカップには、82年、86年、90年、94年の4大会に出場。
82年のスペイン大会には、21歳の若さで10番をつけて出場。初ゴールを含む2得点を記録した。
86年のメキシコ大会ではチームの中心として活躍。準々決勝のイングランド戦は、「神の手」と「5人抜き」という、まさに両極端ともいえるゴールを決め、マラドーナのための試合となった。
決勝の西ドイツ戦でも決勝点をアシストするなどの活躍を見せて、見事に優勝。大会全体で5得点5アシストを記録し、自身はワールドカップの最優秀選手となっている。
90年のイタリア大会では、西ドイツに決勝で敗れたものの準優勝という成績を残した。
94年のアメリカW杯では、34歳ながらアルゼンチン代表の10番で出場し、得点を記録。しかし、1次リーグのナイジェリア戦後に尿から禁止薬物が検出され、大会から即時追放と15カ月の出場停止処分を受けた。
アルゼンチン代表監督としても、2010年のワールドカップ南アフリカ大会に挑み、選手以上の注目を集めた。チームはベスト8に進出している。
故郷ともいえるボカの本拠地スタジアム、ラ・ボンボネーラをマラドーナが訪れると「マラドーン、マラドーン」という、地響きのような歓声が響くのが常だった。
ボカ・ジュニアーズの公式ツイッターはその逝去を受けて、マラドーナの写真とともに、
〈Eternas gracias. Eterno Diego.(永遠の感謝。永遠のディエゴ)〉とツイート。
スペインのラ・リーガの公式ツイッターも、
〈Descansa en paz, Diego Armando Maradona.(安らかに。ディエゴ・アルマンド・マラドーナ)〉
と、マラドーナのスペイン時代のプレー動画とともに追悼している。
二度と現れることのない天才・マラドーナ。世界はその喪失に耐えられるだろうか。