バラン、ラングレ、ウパメカノ…特A続出!フランス「センターバック工場」の秘密の画像
ボールを競り合うラファエル・バランとクレマン・ラングレ。レアルとバルサでは宿敵同士だがフランス代表ではコンビを組む 写真:ムツ・カワモリ/アフロ

 希望は、失意の中から生まれる。

 2012年6月23日。フランス代表は、EURO2012の準々決勝でスペイン代表と対戦した。シャビ・アロンソの2発に沈み、ベスト8敗退が決定。EURO2008、2010年のワールドカップに続いて、またしてもフランスは高みに臨めなかった。

「DTN(ディレクション・テクニック・ナショナル/技術指導部)は、2008年、2010年、2012年の結果を受けて、新たな戦略を立てた」とは、ジャーナリストのハビエル・プリエト・サントスの言葉だ。

「それはスペインの模倣だった。ドイツのように、方向性を変えようとしていた。走行距離ではなく、ボールにフォーカスする。インテリジェントがフィジカルに優るという考えだよ」

■レアル・マドリーに加入した青年

 2012年6月27日。フランスがスペインに敗れた4日後、一人の青年がマドリーに到着した。レアル・マドリー移籍に際して「非常に幸せだ」と素朴なコメントを残した、ラファエル・バランである。

 何を隠そう、バランを発掘したのはジネディーヌ・ジダン(当時スポーツディレクター/現監督)だ。ジダンといえば、フランスの黄金時代に司令塔としてタクトを振るっていた人物。フランスにジュール・リメ杯をもたらした1998年のワールドカップ、決勝のブラジル戦でのジダンのゴールを知らない者はいない。

 あの頃、バランは無名だった。フランスの2部リーグに属していたランスでプレーする選手だ。だが錚々たるメンバーとチームメートだったジダンにすれば、バランの才能に疑いの余地はなかった。黄金期のフランスにはマルセル・デサイー、ローラン・ブラン、リリアン・テュラムといった選手がいたのである。

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