「無名」つながりでフランス人のセンターバックを挙げるなら、クレメント・ラングレだろう。ナンシーに所属していたラングレを発見したのは、セビージャの敏腕スポーツディレクターのモンチである。現在、ディディエ・デシャン監督が率いるフランス代表でバランとラングレがセンターバックで組んでいることには数奇な運命を感じる。

 そのラングレにバルセロナでポジションを奪われてしまったが、サミュエル・ウンティティの存在を忘れてはいけない。カルレス・プジョールの後釜として、バルセロナに加入したウンティティは、ジェラール・ピケの素晴らしいパートナーになった。左利きで、フィジカルが強く、ビルドアップ能力が高いセンターバックはバルセロナに「+α」を与えた。バルセロナでは数年にわたりピケ、プジョール、ハビエル・マスチェラーノと右利きのセンターバックが並んでいたからだ。

「ラングレはナンシーでプレーしていた。2部リーグだ。フランスでは、誰も彼を知らなかった。バランや(ローラン・)コシールニーも似たような感じだった。外国人の方が、フランス人よりフランス人選手に詳しいんだ」とは、プリエト・サントスの弁だ。

 外国人の方が、フランス人よりフランス人選手に詳しい。確かに、そうかも知れない。ダヨ・ウパメカノを見出したのは、ドイツ人のラルフ・ラングニックである。ヴァランシエンヌのカンテラ出身のウパメカノをラングニックがザルツブルクに引っ張り、その後ライプツィヒに移籍させた。そして、ドイツ人のユリアン・ナーゲルスマン監督の下、ウパメカノはライプツィヒの戦術に欠かせない選手となった。

 バラン、ラングレ、ウンティティ、ウパメカノ…。プレスネル・キンペンベ、クル・ズマ、アイメリック・ラポルト、サイドバックとセンターバックのどちらでもプレーできるリュカ・エルナンデス、ベンジャマン・パバールらを加えるなら、枚挙に暇がない。

 センターバックの「フランス工場」に、人々は注目している。

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