■アジアカップ後に進めたラージグループ作り

 A代表監督に就任した2018年秋以降の半年間、森保監督はチームを固定して戦った。トップに大迫を置き、2列目に堂安、南野拓実中島翔哉を並べた攻撃陣が予想以上に機能したので変えにくくなってしまったという事情もあったが、チーム立ち上げの時期にメンバーを固定した最大の理由は翌2019年1月にアラブ首長国連邦(UAE)でアジアカップが開催されるからだった。

 ワールドカップに出場した国は大会終了後に新監督にバトンタッチするケースが多い。日本代表の場合は西野朗監督から森保監督に引き継がれ、新チームが発足した。そして、パウロ・ベント監督が就任した韓国やグラハム・アーノルド監督が就任したオーストラリアも同じ様な状況だった。

 ワールドカップ後に就任した監督たちにとって、翌年の1月に行われるアジアカップは準備期間が半年しかないきわめて難しい大会となる(純粋にスポーツ的に考えれば、アジアカップは昔のようにワールドカップの中間年に開催すべきだ)。

 そこで、森保監督はメンバーを固定して戦ってアジアカップに備えたのだ。

 アジアカップでは、決勝戦で次期ワールドカップに向けて時間をかけて準備を積み重ねてきたカタールに敗れて準優勝に終わったものの、ワールドカップ後もカルロス・ケイロス監督を交代させずにアジアカップに臨んだイランにも完勝して決勝進出を果たしたのだから、森保監督の工程表は成功したと言っていいだろう。

 そして、アジアカップを終えると森保監督は数多くの選手を招集して「ラージグループ」作りを進めていった。

 たまたま、2019年には海外組が招集できないコパ・アメリカやE-1選手権(東アジア選手権)があり、またオリンピックを目指すU-22代表の強化試合もあったため、そうした“悪条件”を逆手にとって森保監督は数多くの選手を招集し続けた。

※第2回に続く

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2
  3. 3