■1970年、カラー放送でワールドカップが始まった

 その大会の最中に、「ダイヤモンドサッカーでワールドカップの試合を流す」という情報が伝わってきた。大会終了後の9月から、しかもカラー放送だという。実は、それまでの放送はすべてモノクロだったのだ。

 初回放送は9月28日。決勝戦だった。すでに東京12チャンネルには、大会の全32試合分のビデオテープが届いていた。日本のファンもブラジルが圧倒的な強さで優勝したことはよく知っている。だからまず決勝戦を先に見せ、それから大会をじっくり見せようという計画だった。ただ、45分間の番組では1試合の3分の1ほどしか見せられない。その結果、サッカーの試合を前半と後半で2週に分けて放送するという、「先進諸国」では考えられない放送スタイルが、金子アナウンサーの「後半戦が楽しみになりました」という言葉とともに定着したのである。

 私にとって大きなショックは、その晩は、親戚の家に来客があり、テレビを見ることができないことだった。だが夢に見たワールドカップの決勝戦である。考えた挙げ句、思いついたのが祖母の家だった。当時、80歳を過ぎた祖母はひとりで暮らしていたので、ときどき遊びに行っては食事をごちそうになっていたのだが、何しろ夜10時である。祖母はとっくに眠っている。さらに悪いことに、テレビは祖母の居間兼寝室にある。

 良識ある大人なら、そこでサッカーの試合を見たいなどとは言えない。しかし私は19歳になったばかりの無分別な子どもだった。無理を言って頼みこみ、真っ暗な部屋で、音量を極力絞って、45分間の放送に見入った。「しょうがないわね」と言って床にはいった祖母だったが、きっと眠れず、ときおり私が息をのむようなときにも、目を覚ましてしまったに違いない。

 初めてカラーで見るワールドカップ。雨上がりで緑に輝くピッチ、アステカ・スタジアムのまるで天頂まで届くかのような巨大なスタンド。ブラジルの黄色いユニホームとイタリアの真っ青なユニホーム。そして何よりもスピーディーな試合。ペレのヘディングシュートでブラジルが先制した後、ブラジルの軽率なミスをついてイタリアが同点とし、あっという間に前半が終わった。

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