■レッズランドの緑の芝生が意味するもの
私たちは「自然災害のある国」に生きている。大地震、台風、大雨、火山……。それは特定地域のものではなく、この国に住む誰にでも、突然襲いかかってくるかもしれないものだ。しかし私たちの先人たち、そして21世紀に生きる私たちも、自然災害に遭うたびに、お互いに助け合い、励まし合ってその困難を乗り越えることを学んできた。ときとして復興には気が遠くなるような時間がかかり、見捨てられたような気持ちに襲われることもあるかもしれないが、毎日毎日、復興は、一歩ずつでも進んでいる。
大きな困難に出合ったとき、何よりも支えになるのは、他者からの共感であり、励ましであり、そして支援に違いない。しかしその前に、すべての人びとに先立って道を示し、自らその道を歩み出す本物の「リーダー」がいたら、どれだけ人びとは救われるだろうか。今回のレッズランドの「水没」は、日本の各地で起こっている大災害に比べたら規模も小さなものだったかもしれない。レッズランドが使用不能になることで人生設計が狂ってしまうような人も多くはなかっただろう。
しかしそれに関わる個々の人にとっては、まさに驚天動地の大災害だった。湖のようになってしまった光景を見て、絶望感に襲われても当然だった。しかしレッズランドには、しっかりしたリーダーがおり、経験をもったスタッフがいた。災害に茫然とせず、「自分がやるべき仕事がここにある」と決意を固めたリーダーがいたことは、この四半世紀で繰り返された大地震による災害時に日本国のリーダーであるべき人びとが見せた腰の引けた態度と比較すると、はるかに幸運だった。
ことし9月下旬、美しい緑に覆われたレッズランドを歩いて、営々と進められる人間の力というものに、あらためて畏敬の念を感じた。人工芝は何ごともなかったように清潔さを保ち、天然芝は厚い泥濘に長期間覆われていたとは思えないほど生き生きとした緑を見せていた。レッズランドが誕生したときから、その緑はそこにあった。しかしいま現在の緑は、当時の何倍も何十倍も価値のあるものだ。それは浦和レッズというクラブがこの地域でどういう役割を果たしながらプロサッカークラブという特殊な活動を続けていくかという態度の何よりの表明であり、また、直接間接に復旧にかかわったすべての人の思いが詰まったものだからだ。