「持て成し」は名詞で、お客さまに心のこもった接遇、歓待をすること。「お」をつけて丁寧にしたのが「おもてなし」。一音ずつ離して「お、も、て、な……」と発音すれば、スポーツ観戦にやってきた外国人へのホスピタリティーの意味となる。観光庁は2014年に「観光おもてなし研究会」を設置した。行政機関が研究しなければならないほど、ホスピタリティーは難しい。
■霧のリバープレート・スタジアム
「ミスター・オースミ、ディス・イズ・ユア・オフィス!」
ある朝、私の顔を見るなりそう言ったのは、カルロス・イルスタさん。1980年代の半ば、アルゼンチン・ブエノスアイレスの都心にあった『エル・グラフィコ』誌の編集部でのことである。
一瞬、変なことを言うなと思ったが、すぐに「ああ、そういうことか」とわかった。だから「ありがとう」と応えた。
1977年に初めてアルゼンチンに取材に行くことになったとき、私は付け焼き刃でスペイン語の勉強に取り組んだ。テキストはNHKラジオ講座のスペイン語入門編のもの。講師の名前ははっきり覚えている。寿里順平さん。当時早稲田大学の教授だった。テキストを読みながら、私は「この人は天才だ」と思うようになった。毎回ほんの数語の単語を並べただけの例文を取りあげるなかで、スペイン語だけでなく、スペインや南米一般の社会のあり方やものの考え方の一片まで理解させてくれたからだ。
たとえば、「ペロ、ポルファボール!」という一節があった。直訳すれば「しかし、お願いします」という意味だが、寿里先生はなんと、「そこをなんとか」という、日本語にしかない表現を「対訳」としてつけていた。無理を承知で何かを頼むときに使うという。
1977年のアルゼンチン出張は、アルゼンチン代表や、親善試合のためにやってくるイングランドや西ドイツ代表などの取材もあったが、ワールドカップまで1年となった各会場の工事状況を見ることも含まれていた。当時のアルゼンチンは軍事政権で戒厳令下にあり、工事中のスタジアムの取材にはワールドカップ組織委員会の報道部門が発行する「取材許可書」が必要だった。それをもらうだけで数日がかりだったのだが、ようやくもらって指定された日にリバープレート・スタジアムに行くと、ひどい濃霧で写真にならず、同行の富越正秀カメラマンと「また来よう」ということにした。