■名物記者からのご招待
さて、その「天才寿里」のテキストに、もうひとつ印象的なフレーズがあった。「エスト・エス・ス・カサ」。直訳すると、「これはあなたの家です」。ところが寿里先生がつけた対訳は「これが私の家です」。「ス」は「あなたの」以外の意味はないのだが、なぜこうなるのか。
解説には、「南米では、自分の家に招待したときにこう言う」という内容が書かれていた。他人を招待したとき、ドアを開けながら、「どうぞ、ご自分の家のようにくつろいでください」と招き入れるという。そのときに「あなたの家」と言うのだという。ちなみに、ドアはもちろん内側に開く。日本のように、外側に開いて相手の鼻先にぶつけるような不作法なことはけっしてしない。
素晴らしいホスピタリティーの心だと思った。「自分の家のようにくつろいでくれ」。これ以上の言葉はない。海外で知り合った記者の多くは、私を自宅に招待してくれた。ポルトのジョアン・ピントさんは日曜日に家族そろっての昼食会に招いてくれたし、トリノではジャンパウロ・オルメッツァーノさんという地元屈指の名物記者が「昼飯を自宅で食べよう」と連れていってくれたのでついていくと、小学校から昼休みのために戻ってきた長男に自らスパゲッティをつくって食べさせるのに私の分もつくってくれたりした。奥さんと交代で「昼食当番」をしているのだという。台所での昼食だった。誰もが、「自分のうちのようにリラックスしてくれ」と言った。
翻って自分のことを考えると、彼らが来日したとき、「自宅に来い」とは言えなかった。小さなアパートの小さな部屋。彼らをくつろがせるスペースなどなかった。彼らの飾らないホスピタリティーのお返しとして私にできたのは、駿河台下の小さな定食屋に連れていって、500円のてんぷら定食を食べさせることぐらいだった。