遠藤保仁に並ぶ「止める・ける」の技術

「止める・ける」ことにおいて、現在の選手で卓越しているのはガンバ大阪のMF遠藤保仁だろう。40歳を過ぎた今季も無類のゲームメーカーとして活躍し、J1の最多記録を更新した遠藤が、これほど長期間安定してプレーしてきた秘密は、どんなに相手に近くからプレッシャーをかけられても正確にコントロールし、思ったところに思った瞬間に思った種類のボールを送ることができる「止める・ける」の技術だ。遠藤ほどの柔らかさはなかったが、釜本も自らの仕事のための高精度の「止める・ける」技術を獲得していたのだ。

 主に足を用いてプレーするサッカー。足と脚には人体で最も大きな筋肉がついており、パワフルにボールに力を伝えることができる。しかしその代わり、外部からの情報の窓口である「目」と、その情報を処理して体の各部に命令を発する「中枢神経」からは最も遠く、手と比べると精度の高い動きがしにくい。

 足でプレーするからミスが出る。それはサッカーの魅力の根源でもある。そのミスを誘い出そうと、守備側は激しくプレッシャーをかけ、攻撃側はそれをかわそうと最高の技術やチームプレーを見せる。手を使ってプレーするハンドボールやバスケットでは、相手ボールになったらほぼ自動的に自陣に戻って守備を固める。ミスが起こる確率が低いからだ。その足で行うシュートというキックの精度を、誤差数ミリの単位にとどめることが、「得点力」の決め手となる。

 釜本はけっして器用な選手ではなかった。1972年のムルデカ大会(マレーシア)、当時「クメール」と称していたカンボジアと対戦した試合で、彼は見事なオーバーヘッドシュートを決めた。地元クアラルンプールの人びとがいまでも語り続ける伝説的なゴールだが、ただ、力感はあったが、けっして「華麗」ではなかった。彼には「魔法」はなかった。そう種類が多いとはいえない得意な技術を使い、ひたすらすばやく、正確にプレーして、得点を積み重ねた選手だったのだ。

 1977年に彼が日本代表を退いて以来、日本のサッカーは「第2の釜本」を求め続けてきた。数え切れないほどの選手がその期待を受け、そして自他ともに失望のうちに舞台を去っていった。それはJリーグ時代になり、さらに欧州で数多くの選手が活躍する時代になっても変わりはない。資質において釜本に勝るとも劣らない選手もいたが、釜本のように高い確率でゴールを陥れ、チームを勝利に導く選手はまだ出ていない。

 日本代表の戦力が充実し、世界に挑もうとするたびに、私は「このチームに釜本がいたら……」と、考えても仕方のないことが頭をよぎってしまう。実際、たとえばこれまでのワールドカップ出場日本代表に1968年の釜本が加わっていたら、どの大会でも一段階か二段階、上のラウンドまでたどり着けたのではないか――。

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