「第2の釜本」はなぜ生まれないのか―試論・決定力という課題―(2)たったひとつの“冴えない”やり方の画像
1965年の釜本邦茂 写真:山田真市/アフロ

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かつて、メキシコ・オリンピックで得点王になった釜本邦茂には、南米やヨーロッパの有名クラブから獲得のオファーが殺到した。ドイツの有名クラブでプレーする計画も実現間近となっていた。Jリーグが始まって27年が過ぎても、彼を超えるストライカーは現れない。あらためて考えたい。どうしたらこの国に、ワールドクラスの点取り屋が誕生するのか。

■五輪フランス戦での強引なゴール

 1971年の4月、私は横浜の三ツ沢球技場で日本鋼管とヤンマーが対戦する試合を見た。その試合の後半、釜本は相手DFからボールを奪い取ると、ペナルティーエリア外、25メートルからいきなり左足を振り抜いた。ボールは相手GKのわずか右上に飛んだのだが、あまりの弾丸シュートにGKはのけぞるだけ。彼が反応したときにはボールは頭上を飛び過ぎていた。驚くべきシュートのスピードだったのだ。ちなみにこの試合、釜本は前半にヘディングで決めた1点と合わせて2点を奪い、2-0の勝利に貢献したのだが、放ったシュートは8本。チームとしては日本鋼管が3本、ヤンマーが11本だったから、釜本を除けば両チーム合わせても6本で、釜本はひとりでそれを上回ったことになる。

 長身を生かしたヘディングも大きな武器だった。すばらしいジャンプ力、空中でのボディーコントロールを生かしてヘディングシュートを決めるだけでなく、味方に合わせるヘディングも正確そのものだった。Jリーグの多くの選手のように「行方はボールに聞いてくれ」というようなヘディングをすることなどなく、いつも味方にきちんと渡した。メキシコオリンピックのブラジル戦、左から杉山が送ったクロスをファーポストで待ち構えた釜本は、3人の相手DFに競りかけられながらも、走り込んでくる渡辺正にソフトなヘディングで落とし、同点ゴールのアシストをした。

 右足、左足、そしてヘディングと、「三拍子」そろったストライカーだった釜本。だが彼を世界第一級のストライカーにしたのは、何よりも、すばやく、強く、そして正確にゴールの隅にけり込むことのできる「キックの技術」だった。そして、その前提として、どんなパスでも次にけるところにワンタッチで置くことのできる「ボールを止める技術」だった。止める、必要ならかわす、そしてける――。この動作を彼は滑らかに、そして非常に高い精度でこなすことができた。これこそ、彼を「ワールドクラス」にした最大の要因だった。

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