圧倒的な攻撃力だった。UEFAチャンピオンズリーグでバイエルン・ミュンヘンは、グループリーグから11試合、計43ゴールを奪って完全優勝を飾った。初優勝を狙ったパリ・サンジェルマンはネイマールとキリアン・ムバッペがカウンターから好機をつくったが、GKマヌエル・ノイアーの壁に阻まれつづけた。ドイツ南部ミュンヘンの一地方クラブは、いかにしてサッカーネーションでトップに上り詰め、その覇権を掌握し続けているのだろうか。
■ビッグクラブはどのような街をホームとするのか
このクラブがバイエルン州のミュンヘンという“地方都市”を本拠地とするクラブであることも驚くべき事実だ。
ミュンヘンはドイツ南部バイエルン州の州都で人口が約150万人。ベルリン、ハンブルクに続くドイツ第3の都市であり、都市の規模としては申し分ない。だが、バイエルンという地方はけっしてドイツという国の中心ではない。
各国のビッグクラブがどのような都市を本拠地としているのかを考えてみよう。
考えてみれば当然のことながら、その国の首都に代表的なビッグクラブが存在する例は多い。レアル・マドリード、ベンフィカとスポルティング、PSGなどがそれだ。南米でも、ブエノスアイレスにはボカとリーベルが存在する。政治権力の中心地であることによって多くの情報や富が引き付けられてくるので「首都」は多くの人口を抱え、また経済活動の中心となっている場合が多い。ビッグクラブが首都に存在するのは当然のことだ。
政治的な首都ではないが、その国の経済的な中心都市にビッグクラブが存在する例も多い。経済活動が活発であればスポンサー企業も集めやすく、クラブ財政にとって有利なのだから、ビッグクラブが経済都市に存在するのは当然だ。
イタリアの政治的な首都はローマだが、経済的にはミラノが最大だ。そのミラノを本拠地とするACミランやインテルは首都のローマに存在するASローマやラツィオをしのぐビッグクラブだ。ポルトガル北部の経済の中心都市ポルトにはFCポルトがあって、首都の2つのクラブに対抗、いやここ20年ほどは完全に首都のクラブを凌駕した存在となっている。
もちろん、例外もある。
イタリア最強クラブのユベントスが立地するのは、政治的首都のローマでもなく、経済的中心都市のミラノでもなく、ピエモンテ州のトリノである。ここは19世紀に半島を統一してイタリア王国を樹立したサヴォイ王家の本拠地。つまり、イタリア国家にとっての歴史的な中心都市である。
イングランドでビッグクラブが多数存在するのは、マンチェスターやリヴァプールなど同国の北部だ。首都のロンドンや経済的に裕福な中部のバーミンガムなどに比べて、フットボール界における北部の存在感は圧倒的だ。
これは、この国のフットボールの歴史によるものだ。すなわち、19世紀の産業革命の時代に工業都市や港湾都市として栄えていた北部の工場労働者の間でサッカーが盛んとなり、この地域で“プロフェッショナル”という新しい形態のプレーヤーが生まれたからだ。かつてのイングランドのFLは1888年に北部のプロ・クラブによって結成された組織であり、ロンドンのクラブとして初めてアーセナルがFLに加盟したのは1893年のことだった。