■サッカー誕生の日の夜に

 サッカーとビールは切っても切れない関係にある。

 日本代表のトップパートナーはキリンである。Jリーグでも、1993年から15年間、サントリーがメインスポンサーになっていた。キリンが初めてサッカーの後援をしたのは1978年で、日本サッカー協会が独自に開催した「ジャパンカップ」のスポンサーとなった。この大会は後に「キリンカップ」となり、キリンはいまも日本代表の練習着などに大きなロゴを入れている。

 世界に目を移しても、ビールとサッカーの関係は明白だ。ワールドカップでは、私の友人たちが「水のようだ」と酷評するバドワイザー(アメリカ)が長くスポンサーを務めている。EUROやチャンピオンズリーグはハイネケン(オランダ)だ。ちなみに、来年に延期された東京オリンピックでは、アサヒ・スーパードライがオフィシャルビールだという。オリンピックの会場ではスーパードライ以外に選択肢はない。

 会場での売り上げもさることながら、ビール会社がこうもサッカーにのめり込む背景には、テレビ観戦者への影響力がある。キックオフが近づくと、テレビの前に陣取り、彼らはのめり込むように試合に没頭する。そしてハーフタイムになると、なぜかのどの渇きを覚える。試合の背景にあったビール会社の広告が原因だ。そしてほぼ間違いなく、何ものかにせき立てられるかのように冷蔵庫のドアを開けるのである。

 昨年のラグビー・ワールドカップを前に、「ラグビーファンのビール消費量がハンパない」(70歳に手が届こうという歳になってこんな日本語は使いたくないのだが、引用だから仕方がない)と話題になった。2015年にイングランドで行われたラグビーのワールドカップでは、全45試合を通じて実に130万リットルものビールが消費され、それはワールドカップの試合と同じ都市で行われるプレミアリーグの6倍にもあたるというのである。プレミアリーグ・スタジアムでのビール消費量の少なさの原因については、既述した。

 だが、サッカーといい、ラグビーといい、どうしてこうも「フットボール」はビールと不可分の関係になってしまったのだろうか。それは歴史的背景によるものに違いないと、私は憶測するのである。

 いまから150年以上も前、1863年(日本で言えば幕末のころである)の秋から冬にかけて、英国ロンドンの「フリーメーソンズ・タバーン」というパブで一連の会合が開かれた。フットボールのルールを統一するための会議であり、集まったのは、20代の若者たちだった。「フットボール・アソシエーション(協会)を設立しよう」という話はすぐにまとまったが、12月の最後の会議で、あるプレーをめぐって激しく意見が対立してしまった。

 多くの参加者はすねを蹴る「ハッキング」という行為を反則にしようという意見を持っていた。しかし「ハッキングをなくしたら、フットボールから男らしさが消えてしまう」と、強硬に反対した者がいた。投票の結果、13対4で「ハッキング禁止派」が勝利をおさめ、納得できない「ハッキング派」は憤然として席を立ち、残った13人で最初の「サッカー・ルール」が書き上げられた。

 パブでの若者の飲み物といえば、1パイント(568ミリリットル)のグラスになみなみと満たされたビールと決まっている。サッカー誕生につながる口角泡を飛ばす大議論のその「口角の泡」は、おそらくビールの泡だっただろう。サッカーの誕生に重要な役割を果たしたビールが、現在に至るまでサッカーと不可分な関係であるのは当然のような気がする。

 投票で敗れて席を立った4人の若者たちは、憤まんやる方なかったはずだ。誰からともなく、「面白くないな、もう1軒行くか」と言いだし、別のパブに向かったという光景は容易に想像がつく。そして、そこでまた、彼らは数パイント分のビールグラスを空にしたに違いない。このときの4人が中心になり、後に「ラグビー・ユニオン」がつくられる。ラグビー・ファンがサッカー・ファンより多くのビールを消費するというのが事実としたら、その背景には、こんな1世紀半前の出来事にあったのはないかと、私の妄想は広がるのである。

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