■原稿の前に冷たいビール
そんな私が、進んで「ビールを飲もう」と言い出すのは、相当に特別なときと見ていい。
最初は1996年の3月24日のことだった。
この日、クアラルンプールで行われたアトランタ・オリンピックのアジア予選準決勝で、日本は前園真聖の2つのスーパーゴールによりサウジアラビアを2-1で下し、1968年のメキシコ大会以来、実に28年ぶりのオリンピック出場を決めた。前年にU-20での世界大会出場はあったが、オリンピック出場はまた格別だった。
取材を終えて、私は東京新聞の財徳健治さんとメディア用のホテルに戻った。スタジアムでも新聞用に1本の原稿を書いて送ったのだが、ホテルに戻ってからも朝までに数本の原稿を書かなければならなかった。オリンピック出場権獲得の喜びよりも、原稿のことばかりが頭にあった。財徳さんも同じだった。
万が一、知らない人もいるかもしれないから書いておくが、財徳健治さんはこの当時の新聞記者のなかではナンバーワンとも言うべき存在で、分析の鋭さとともに非常に熟達した文章を書くことで定評がある人だった。だがそれと同時に、大の「飲んべえ」としても名をとどろかせていた。
ふたりともこれから書く原稿のことばかり考えていたので、ロビーにはいるとまっすぐエレベーターに向かった。U-23日本代表はオリンピック出場権をつかみ取ったが、それを日本のファンに文章で伝えるのは、これからの私たちの仕事だった。
だが、エレベーターの△ボタンを押してから、「このまま部屋に帰るのはもったいない」という思いが頭をよぎった。そしてこう言った。
「財徳さん、ビールを1杯飲みましょう」
財徳さんが驚いたのは当然だった。
「お前、だいじょうぶか?」
私がアルコールはまったくダメなことを知っている財徳さん。少し頭がおかしくなったのではないかといぶかしんだのだ。
「1杯だけ。乾杯しましょう」
そう言って、私はエレベーターに乗ると、2階のボタンを押した。2階にはレストランを兼ねたバーがある。もう12時近く。バーも閉まっていたが、フロントに戻って「ビールを1杯だけ飲ませてくれ」と言うと、やがて財徳さんと私の前になみなみとグラスに満たされた冷たいビールが並べられた。
「乾杯!」
グラスをつかむと、そう言って、私は一気に飲み干した。おいしかった。
見ると、財徳さんは3分の1ほど飲んだだけで、まだけげんそうな顔をしている。私が急性アルコール中毒でも起こすのではないかと心配しているようだった。
1杯飲むとすっきりした。じゃあ、と言って、席を立ち、私は部屋に向かった。部屋のドアを開ける前から顔がポッポと熱くなり、頭もクラクラしたが、バッグを開いてワープロ(当時、私はまだワープロ専用機を使っていた)を取り出すと、猛烈な勢いで原稿を書き始めた。気持ちが悪くなったり、眠くなるのではないかと思ったのだが、なぜかだいじょうぶだった。