■世界屈指のフットボール国として

 上記したように、サッカー界は、1960年代の東京、メキシコ両五輪の集中強化の成功、その後の空白を経験した。今思えば、この上がり下がりは、日本サッカー界の長期的発展の中の、ある種のバブルだった。しかし、このバブルはその後の大きな成長の礎となった。まあ、その刈り取りに30年近い年月がかかったのですけれども。

 1950年代までは、決して盛んとはいえなかった日本サッカー。しかし、その状況下で地元東京五輪に向けて集中強化を行い、それをメキシコ五輪まで継続し、好成績を収めたのが60年代だった。

 両五輪の好成績が契機となり、全国レベルの国内リーグが組織され、日本中にサッカー少年団が作られ、今日の日本サッカーを支える広大なピラミッド構造が次第に作られる。メキシコの銅メダルの後の70年代、日本代表の成績は低迷したかもしれないが、両五輪での成功は着実に底辺を増大させたのだ。

 そして、80年代に入り、日本サッカーの質も上がった。十数年に渡る普及が奏功し、優秀な選手が次々に登場したからだ。85年メキシコワールドカップ予選、87年ソウル五輪予選、いずれも世界大会出場まで、あと一歩まで迫る。一方で、古河、読売がアジアチャンピオンズカップを制覇。私たちは、ようやくアジアのトップレベルと対抗できるようになった。70年代から80年代にかけて、アジアでもまったく勝てなかった時代はつらかったし、スタンドには閑古鳥が鳴いていた。しかし、それでも私たちにはサッカーがあった。そして、少しずつ、少しずつ、私たちは強くなっていった。

 92年にアジアカップ初制覇、93年のドーハの悲劇を経て、ついに98年ワールドカップ初出場。00年代となり、アジアではもちろん、ワールドカップ本大会でも少しずつ勝てるようになった。いま思えば、98年から06年のドイツワールドカップあたりまでの、日本代表ブランド及びその周辺に存在した大きなカネの動きも、長い歴史から見れば一種のバブルと考えるとよいのかなとも思う。その新たなバブルがあったからこそ、サッカーは日本人に完全に定着した。日本中津々浦々の人々が、「サッカーは楽しい、愛するクラブを持ちたい」と思い始めたのだから。

98年ワールドカップ初出場を決めた「ジョホールバルの歓喜」 写真:AFP/アフロ

 その新たなバブルがはじけ、サッカー界に落ちるカネは、00年代半ばより少なくなったかもしれない。しかし、気がついてみたら、10年代に入り欧州のトップリーグで活躍する日本人選手は数えきれないほどになった。日本代表はアジアのタイトルマッチでの好成績を継続し、ワールドカップ2次ラウンド進出も珍しいことではなくなった。さらに、Jリーグも年々充実。ほとんどの都道府県にプロフェッショナルのサッカークラブを持つまでに至った。トータルのJリーグ観客数は、チーム数の増加を含め、着実に増加している。

 たしかに2回バブルはあった。しかし、心あるサッカー人たちが、丹念な強化を少しずつ積み上げることで、今日の繁栄を築いたのだ。私たちは世界屈指のサッカー強国になりつつあるのだ。

 一方で日本ラグビーはまた異なる歴史がある。

 71年にイングランドに3対6で惜敗と健闘するなど、ジャパンはそれなりの歴史を誇っていた。80年代、必ずしも日本のトップとはいえない大学チームがマスコミに騒がれ、毎年のように大観衆を集めることとなった。一方で、新日鉄釜石、神戸製鋼と言った歴史に残る強チームも登場した。

 余談ながら、86年のアジアラグビー選手権で日本は韓国に苦杯を喫していた(当時、韓国代表には、具智元のお父上の具東春がいたとのことだ、ポジションも同じプロップらしい)。にもかかわらず、87年のラグビーワールドカップ第1回大会に日本が出場した。これは、当時の大会メインスポンサーが日本企業だったからといわれた。残念な歴史と記憶されるべきだろう。

 また95年ワールドカップでは、ニュージーランドに17対145で惨敗するという悲劇を経験している。大会中にもかかわらず、中心選手がホテルのカジノで遊興する写真が出回ったのも悲しかった。このような惨事があり、ラグビーの国内での露出は大きく冷え込んだ。さらに、90年代半ばから、世界ラグビー界がプロ化に向って大きく舵を切ったのに、日本は完全に乗り遅れた。

 それでも、心あるラグビー人たちは健全な努力を繰り返し、02年には全国でのトップリーグを結成、優秀な外国人選手を招聘しやすいレギュレーションとするなど、地道な強化を継続してきた。そして、15年ワールドカップでは1次ラウンドで南アフリカに勝利(この勝利は世界スポーツ史上最高の番狂わせと語っても過言ではないだろう)。さらには、昨年の地元ワールドカップでは、アイルランド、スコットランドを連破して、2次ラウンド進出を果たした。幾度も語らせていただいたが、あの体験は最高クラスの歓喜だった。

 では、次に何をすべきか。

 あれこれと講釈を垂れてきたが、日本ラグビー界の最優先事項は、23年大会に向けてのジャパンの強化ではない。一番重要なのはトップリーグの改革のはずだ。昨年リーチマイケルとその仲間たちが見せてくれた颯爽とした活躍は、存分に日本人みなの記憶に残っている。ラグビー観戦は楽しいのだ。だからこそ、彼らの活躍という最大のレガシーを活かして、いかにトップリーグを、地域密着をキーワードにしたプロフェッショナルリーグに発展的解消していくか。

 18年ロシア、19年日本、2つのワールドカップが行われた。両大会で2次ララウンドに進出したのは、私たちとフランスとイングランドだけだったのだ。世界屈指のフットボール国としての誇りをもって、2つのフットボールをもっともっと楽しめる環境を築いていこうではないか。

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