ブタの膀胱に暴行!

 1980年代半ばまで、公式戦で使われるサッカーボールは天然皮革ということになっていた。あまり古い話は出したくないのだが、160年ほど前まで、サッカーボールとは、ブタの膀胱に空気を入れ、それを牛革の「外皮」でくるんだものだった。そのままサッカーが世界中で行われる現代に至っていたら、ブタは「絶滅危惧種」になっていたに違いない。だが彼らにとって幸いなことに、19世紀半ばに天然ゴムを工業用に使う技術が開発され、ブタは心安らかに食肉として「豚生」を全うできるようになった。

 それでも「外皮」は天然皮革に変わりはなく、なめした牛革の「パネル」を12枚あるいは18枚つなぎ合わせる形は20世紀半ばまで続く。なめし皮だから、自然な色は茶色で、当然、「サッカーボールは茶色」が常識だった。夜間の試合で見えやすくするためにボールを白く塗る方法は19世紀末には使われていたが、ルールで正式に認可されたのは1951年のことである。

ワールドカップ1930仕様球。12枚パネルのボールだった
ワールドカップ1930仕様球。12枚パネルのボールだった

 1930年に始まったワールドカップでも、最初の30年間以上は地味な茶色のボールが使われていた。緑の芝に映える明るい茶色(オレンジ色に近かった)のボールが使われたのは1966年のイングランド大会。その弾むような色は、「革命」の前ぶれだったのかもしれない。といっても、決勝戦でイングランドのジェフ・ハーストが西ドイツのゴールに3回叩き込んだ(実際には2回だった)この「スラゼンガー社」製のボールも、「18枚パネル」を基本とした「24枚パネル」という伝統のスタイルだった。

 1970年のメキシコ大会で、ワールドカップ史上初めて「白黒ボール」が登場する(オリンピックでは、1968年のメキシコ大会で使用された)。ペレを中心としたブラジルの夢のようなプレー、そして初めて大会を通じてカラーによるテレビ衛星中継が行われたことで、世界中がアディダス製の「白黒ボール」の不思議な力に魅せられた。

 だがワールドカップにおける「白黒ボール」の時代は長くは続かなかった。続く1974年西ドイツ大会で使われたことを最後にさっさと「勇退」し、後進に道を譲ることになるのである。1978年大会以後は、アディダスの戦略に乗って大会ごとに新しいデザインのボールが使われていく。

「白黒ボール」の革命は、ただそのデザイン(色)だけではなかった。

 それまでのボールは、極端に言えば立方体の「箱」をつくるようなもので、基本的に6面のパネルの組み合わせだった。4つの正方形をつなげ、残る2つで天地を覆うという形である。その6面を細分化し、1枚を縦に2つ割りして「12枚パネル」にしたのが1930年のワールドカップで使われたボールであり、3つ割りにしたのが「18枚」、さらに3つ割りの中央を2つに割ったのが1966年に使われた「24枚パネル」のボールだった。パネルを増やすことで「真球」に近づけようとした努力の跡だった。

ジェフ・ハーストがハットトリックを演じた1966年の決勝戦で使われた「24枚パネル」のボール

ジェフ・ハーストがハットトリックを演じた1966年の決勝戦で使われた「24枚パネル」のボール

これがボール? 初期のサッカーボールは「箱」のようなものだった
これがボール? 初期のサッカーボールは「箱」のようなものだった
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