レアル・マドリー「サッカー銀河帝国の興亡」第1回 ロス・ガラクティコスの歩みと、ひとつの失敗。 の画像
銀河系軍団と呼ばれたレアル・マドリー ベッカム、フィーゴ、ジダン、ラウールにロナウド 写真:ロイター/アフロ

 レアル・マドリーといえば、多くのフットボールファンにとって、巧みな補強を敢行するクラブという印象があるかもしれない。

 事実、フロレンティーノ・ペレス会長が初めてビッグイヤーを掲げた際、その背景には大型補強の成功があった。

 2000年夏にロレンソ・サンスに勝利して会長職に就いたペレスは、ルイス・フィーゴ(2000年夏加入)のバルセロナからの「禁断の移籍」を筆頭に、次々と大物選手のオペレーションを成立させていく。ジネディーヌ・ジダン(2001年夏加入)、ロナウド(2002年夏加入)、デイビッド・ベッカム(2003年夏加入)がマドリードに到着して、ロス・ガラクティコスー銀河系軍団ーが形成された。

 有能なビジネスマンであるペレスは、スタープレーヤーの確保がメディアの注目度を高め、ユニフォームをはじめとするグッズ販売等の物販の売り上げの激増につながると踏んでいた。インターネット登場前の当時、マスメディアの影響力は絶大であった。高額な買い物にある種の快楽が伴うように、「レアル・マドリー」のブランドは確立されていく。

 その頃、それは画期的な手法だった。選手を用いてのマーケティング、先行投資とその後の回収、スポーツ的側面の成果、複雑な要素を絡め合いながら結果を手にするペレスのアプローチは他の追随を許さず、2006年2月に辞任するまでに2度のリーガエスパニョーラ優勝、チャンピオンズリーグ制覇、2つのスペイン・スーパーカップ、UEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップのタイトルを我が物とした。

 一方、第一次政権において、ペレスはひとつの失敗を犯している。それは「ジダネス・イ・パボーネス」という言葉に集約される。銀河系軍団の代名詞であったジダンと、カンテラ出身の象徴だったフランシスコ・パボン。メディアで彼らが捩られたように、大型補強とカンテラーノをミックスさせるという狙いが、ペレスにはあった。しかしながら、2007年にフリートランスファーでサラゴサに放出されたパボンの状況を顧みれば、カンテラ重視という策はマドリディスタの帰属意識と直結するところまで落とし込めなかったのは明らかである。 

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