■ちょっとした不満
ジャパンのプレイはすばらしかったとは思うが、一方で、サッカー狂から見ると「ちょっとまずいのではないですか」と言うプレイもあった。
スコットランド戦。後半開始早々に加点し、21点差としながら、連続トライを許し1トライ1ゴール差とされ、そこから実にタフな試合となったのは前述の通り。ただ、この後半に許した連続トライは、まったく同じ失点パターンによるものだった。
攻め込まれたジャパンは、自陣近くでボールを奪い、タッチキックで距離の挽回をねらう。ところが、そのキックがタッチラインを切る距離が短く、スコットランドにクイックスタートを許し、余裕ある展開から、簡単に揺さぶりを許してトライを奪われた。サッカーで言えば、敵の攻撃をペナルティエリア内で奪いマイボールにしたところで簡単に再度奪われるようなものだ。クイックスタートをされないように十分にタッチから遠い地点までボールを蹴り出し、守備を落ち着いて建て直せれば、あの2トライは奪われずに済んだはずだ。
サモア戦も納得しがたい場面があった。この試合、2次ラウンド進出争いを考慮すると、勝利して勝ち点4を獲得するのは必須、それもできれば4トライを奪い勝ち点5をねらいたかった。しかし、ジャパンはその4トライ目を目指す戦いをしなかったのだ。
苦労しながら、76分に3つ目のトライを奪い31対19。ようやく点差を8以上に広げ、残り時間が僅かなことを考えれば、勝ち点4獲得はほぼ確実となった。ならば、何とかもう1トライ奪い、勝ち点5を目指すべき。ところが、田村はいつもと同じようにコンバージョンキックを時間をかけて行った。ここは確実に2点をねらうプレイスキックではなく、外してもよいからさっさとドロップキックを選択し、もうワントライをねらう時間を確保すべきだった。明らかに、その日主将を務めたピーター・ラブスカフニの選択も、田村の判断もおかしかった。その後、僅かな残り時間で猛攻をしかけ、4トライ目をとって勝ち点を5にできたのは結果論に過ぎない。
もちろん、相手のある戦いをしているのだし、信じがたいプレッシャーがかかっている試合中のこと、技術や判断のミスが出るのはしかたがないことだろう。ただ不思議なのは、(少なくとも私が見た限りでは)各種の報道でこれらの問題への指摘がまったく見受けられなかったこと。ベスト8に進めたことは見事だったが、報道までそれに浮かれてしまってよいのだろうか。
またジャパンの戦い振りとは関係ないが、サモア戦では残念なことがあった。
姫野が54分に2トライ目を奪い、24対12とサモアを突き放し、田村がコンバージョンキックをねらう。15分以上残している時間帯、12点差と14点差では重みが異なる。ここは先の場面とは異なり、確実に2点を追加したいところだ。
ラグビーと言う競技の魅力の一つにプレイスキックでゴールをねらう際の静寂感がある。30人の屈強な男が、厳しいオフサイドルールの支配下で戦うこの競技。どのような状況でも、ボールを持った選手が自由となる時間はとても短い。どのポジションの選手でも、ボールを受けた直後に、敵のすさまじいプレッシャーに襲われる。さらに言えば、この厳しいプレッシャーをいかにかいくぐるか、15人がそれぞれ献身的に連携することがとにかく重要。そして、その連携が崩れた瞬間に、一気にチームが崩れ、失点してしまう
ところが、プレイスキックでゴールをねらう瞬間だけは違う。まったく敵からのプレッシャーがない状況で、連携も何もなくたった一人の男の個人能力にすべてがゆだねられるのだ。この唐突に訪れる静寂した雰囲気もまた、この競技の魅力である。
ところがこの場面、田村がコンバージョンをねらう時にウェーブが始まったのだ。ウェーブを行った人々は、その行為が田村の妨害になるなど想像もできなかったのだろうか(褒められたことではないが、サポーターが敵のプレイスキックを妨害するならば、理解できなくはない)。これまでのプレイスキックの場面での静寂感の重要性に気がつかなかったのだろうか。大会中、しばしば「『にわか』ファンでも楽しめる、ラグビーワールドカップ」と言う報道を見聞きしたが、たとえ「にわか」でも、あまりに残念だった。
そして、今でも不思議なのは、この大観衆の残念な行為を問題視する報道も、見受けられなかったことだ。