■浦和VSガンバ大阪戦を見て…

——日本のサッカーについての知識はあったのですか?

 日本に来る前、日本サッカーについてはガリー・リネカーがプレーしたとか、小野伸二や遠藤保仁とか、そういう選手の名前を知ってたぐらいで、サッカーのレベルのイメージもなかったですね。

 それで2007年の旅行中にJリーグを見に行きました。埼玉スタジアムで開催されたヤマザキナビスコカップ準々決勝第1戦の浦和vsG大阪で、ほぼ満席でしたね。雰囲気は想像していたよりすごいと思いました。そしてその試合を見て「日本のサッカーってすごいな。レベルも高いよ」と思いましたね。

 雰囲気もよくて、特に印象に残ったのは、行きの電車で同じ車両に赤いシャツと青いシャツのサポーターが一緒に乗ってることでした。その試合を見る1週間前 (※実は、2ヶ月前だった)にマンチェスター・ユナイテッドチェルシーの試合を見ていたのですが、そこでは駅から出ると左はマンチェスター・ユナイテッド、右はチェルシーと強制的に分けられて、違う色のシャツを着ている人はこっちを通れないなどの規則もありました。この日本とイングランドの差が興味深かったのです。

 僕は大学でメディアと文化を勉強していて、サッカーも好きでした。だからイングランドと日本のサッカーの違いを書こうというアイデアが湧いたのです。それから1年間は会社で働いていたのですが、2008年にもう1回日本に来て、日本に住むことを決心しました。

 ——来日した後はどうやって過ごしていたのですか?

 2009年5月に来日したときから、日本サッカーについての本を書くつもりでいます。まず2009年から2010年まで日本全国を廻って、いろんなサッカークラブをリサーチして取材していました。

ショーン・キャロル氏
ショーン・キャロル氏

 そこから1年の間にサッカーマガジンに書いたり、他の媒体に書いたりしてフリーランスのサッカーの記者になることが出来ました。当時から英会話の仕事もしていて、2010年から2011年は週3回ぐらい英会話の講師をしてました。最初はサッカーの仕事が20パーセント、英会話の仕事が80パーセントでしたが、今はその割合が逆転しています。

 英会話の仕事を辞めるということも何回か考えたのですが、そのたびに何か引っかって続けてきました。サッカーの記者はアジアカップやワールドカップのときは仕事が増えます。でもキツイときもあるから一応英会話の仕事を続けようと思って、今も週1回は勤めているのですが、現状ではこの仕事を残しておいてよかったと思います。

 最初はその本を書いた後、どうするか決めていなかったのでイングランドに戻るかもしれないと思っていました。そうしたらあっという間に11年、人生の3分の1ぐらいを日本で過ごしています。こんなに長期間、取材するとは思ってなかったですね。

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