SDとして持ち合わせていた武器はプロ選手としての経験しかなかったモンチだが、ビジネスマンとしては大きな武器をしっかりと持っていた。スペイン語、英語、フランス語と多言語に優れているだけでなく、一度出会った人のことは忘れない記憶力の良さがある。筆者はモンチに一度だけマドリードで会ったことが過去にあった。そのことを清武弘嗣の入団会見で挨拶代わりに話すと、「覚えているよ。何年前かは忘れたけど、バスク料理のレストランで、振り向いたら君たちがいたね。妻と一緒に夕食をしていた時のことだから忘れないよ」とまるで最新のOSを組み込んだPCのように、記憶の中から簡単に過去のデータを引き出していた。

 SD就任当初、多くの武器を持たないモンチは自らの足でスカウティングを行っていた。セビージャで長年監督を務め、信頼を置いていたペペ・アルファロとともに地元の試合だけでなく毎週末マドリード、バルセロナへと足を伸ばし、できる限り試合を観戦して選手の資質を見抜く力を鍛え続けた。そして蓄積したリストは、当時の監督ホアキン・カパロスのもとへと上げられた。チームに必要な戦力を絞り込む作業は、それこそ寝る間も惜しんで行われたが、決して辛くはなかった。

「ホアキン(・カパロス)が監督の時からホルヘ(・サンパオリ)まで自分たちの行っていることは変わらない。監督と何度も顔を合わせてチームに必要な選手の話し合いをする。監督からは具体的な選手の名前を聞くのではなく、欲しい選手のプロフィールを聞く。例えば、清武を例にすると、中盤の選手でしっかりとボールをコントロールできる選手というオーダーから我々は清武獲得に動いた」

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