大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第193回「日本サッカーとテレビの真実」(2)NHKの思い付き「元旦・国立」天皇杯決勝!日テレ「打倒・甲子園」高校サッカー首都圏開催の画像
再び元日に戻ってくる天皇杯決勝。始まりは単なる思いつきだった(写真は昨年11月の町田ゼルビア初戴冠)。撮影/原壮史(Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、1960年代から70年代にかけての日本サッカーとテレビ中継の蜜月と低迷期をひも解く。「元日の天皇杯決勝」や「首都圏開催の高校サッカー」は、いかにしてテレビ局の思惑と結びつき、現在の伝統へと発展したのか。その裏側にあった驚きのドラマとは?【第2回/全4回】

■世界も驚く異例の生中継! 日本が一気に「テレビ・サッカー天国」へ

 そして翌1965年には野球を例外としてチームスポーツでは初めての全国リーグである「日本サッカーリーグ(JSL)」が誕生、その「開幕戦」となった東京・駒沢競技場での古河電工(現在のジェフユナイテッド千葉)×三菱重工(現在の浦和レッズ)(6月6日、午後3時10分キックオフ)が、NHK総合で生中継された。試合は、前年のオリンピックで監督を務めた長沼健(古河ではFW)、DF宮本征勝、DF鎌田光夫、MF八重樫茂生、FW川淵三郎と「オリンピック組」をずらりと並べた古河が、DF片山洋、MF継谷昌三の2人のオリンピック代表を擁する三菱に5-0で大勝した。

 人気のJSLはこの年の後半には毎週のように生中継されるようになった。NHKが中心だったが、NET(現在のテレビ朝日)とTBSの民放2局も定期的に中継し、2局が同じ試合に重なることもあったし、1節2試合も珍しくはなかった。当時のJSLは加盟8チーム、すなわち1節4試合である。翌1966年、JSLは、ある民放から高額での一括放映権購入の申し込みまで受けた。日本を代表する大企業の福利厚生のためのサッカー部で構成されていたJSLは、この申し出を断った。

 前回の記事を思い起こしてほしい、イングランドだけでなく、1960年代に国内リーグの試合が定期的に生放送されていた国は世界でも皆無だった。「テレビ中継があるとスタジアムに人が来ない」と、世界の誰もが信じ切っていた時代だったからだ。しかしその時代、日本は世界で唯一の「テレビ・サッカー天国」だったのである。

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